ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

山中城 ③ (静岡県 三島市)

前回の山中城②の続きです。
 
前回は 「2の丸」 への進入路である虎口の画像で終わってましたが、 その補足から掲載します。
 
 
イメージ 1
 虎口の奥に控えてる櫓台跡らしき土盛りに登って
周囲を撮影。
 
左手の画像は池から登る坂虎口側を撮影
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
 
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↑少し右に向きを変えます
 
 
 更に右を向き撮影
橋の先は、 元西櫓と呼ばれる馬出し廓 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 こちらは 同じ櫓台跡から 「2の丸」 内部を撮影。
かなりの広さを誇る廓なのですが、 何故か土地の勾配がそのまま残されてます。
 使いにくいでしょうに・・・
 
 
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 「2の丸」 から谷を跨いだ岱崎出丸を撮影。 良く見えます。
戦闘の状態もはっきり視認出来たはずです。
 
 
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 いよいよ本丸内部に入ります。  ここは2の丸と違って3段程の平坦地となってます。 
 3段併せても、 それ程広くはありません。
 
 
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   下は この様に段々になってます。  左手の小屋は東屋です。
 
 
イメージ 19 此方は 本丸最下段にある
兵糧庫跡とされる礎石跡です。
 
 丁度 東屋の隣にあります。
 
掘立小屋ではなかったようですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 こちらは本丸 最深部にある
天守台跡
 勿論 ピカピカの天守閣が
あった訳ではなく
 
 城の最高所であるので
物見台が置かれていたのでしょう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 天守台裏側の空堀  
堀の対岸は 「北の丸」 です。  この辺は復元整備から洩れた当時そのままの堀です。 
 写真では良く解りませんが、 畝堀の痕跡がよーく見ると残ってたりします。
  この辺の堀もなかなか立派な物でして、 出来ればこっちも見て頂きたい所です。
 
 
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 堀底に降りて撮影。  国道1号歩道橋の脇になります。
有名な障子堀も 復元前は 埋もれてこのような状態だったのでしょうね。
 若干、 堀底の起伏が残ってます。
 
 
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堀を挟んで 「本丸」から 「北の丸」 方面を撮影。 復元された架橋を渡ります。
 
 
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 そして こちらが 「北の丸」 内部の様子です。  
周囲の土塁まできちんと整備されてる事と、 おまけの廓かと思いきや意外に広い空間であったのが驚きでした。
 
 
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 北の丸から 城の裏側へ伸びる帯廓へ進み、 振り返って 北の丸側を撮影。
右手 堀を挟んで 「2の丸」 になります。 
 この城裏手の堀は、 障子堀のある前線よりも広く深く造られているようで、圧巻の規模でした。 
 
 
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 同じ帯廓から撮影。
 この辺りは山城の雰囲気が良く残ってます。 これも又いいですね。
 堀の向かいは 「2の丸」 になります。 この辺り、 堀が実に深く造られています。 
 
 
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こちらは 天守脇にある 「矢立ての杉」 
 推定樹齢500年で 
出陣の前に矢を射立てて戦の勝敗を占ったのが
 名前の由来だそうです。
 
 それにしても巨木です。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 こちらは 矢立ての杉のすぐ脇に
ある 「駒形諏訪神社の大カシ」
 推定樹齢500~600年
 
 右下は社殿です、 こちらも劣らず巨樹です。
 
 当時の 合戦を目撃していたんでしょうね。
 
 
 
 
 
 
イメージ 9
 
一旦 国道1号に戻ります
 
 ここ山中の集落は元
「3の丸」になりますが
 それらしい遺構は見られず 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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集落にある 「宗閑寺」
 ここには 北条・豊臣双方の
墓があります
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 11
敵味方なく葬られているのが日本的
 
 
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これは おまけです
 宗閑寺裏手に 土塁の跡らしき物が残ってました。 
土塁の奥は切岸になっており、その先には何度か登場した 「田尻の池」 になります。
 
  
 戦国最終期の 「土の城」 の技巧を凝縮し詰め込んだその縄張りは、素晴しいの一言。
遺構はしっかり整備されており、 見学しやすい状態に維持されてます。