ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

松代城 (長野県 長野市)

 
訪問 2015年 5月
 
駐車場   有
現地案内板 有
 
気が付けば 11月に地下本営をアップしてからすっかり更新を経って年も越しておりました。 
 
そういった訳でして・・
 明けましておめでとうございます。
今年も早速本題に参りたいと思います。
 
 松代まで来たからには松代城海津城)もおさえなければと訪問。
普段はほぼ誰もいない山城跡ばかりの訪城なので、観光地化された城跡はある意味新鮮ではありました。
 
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                   松代城 本丸櫓台跡の石垣です。
 

 

 

 

 場所は この辺りです。 大型の駐車場も完備されており訪問は容易です。
 
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現地案内板です。 図は江戸時代末期のイメージとの事。
 案内左側の解説を掲載します。
 
 松代城は、甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との「川中島の合戦」の際に、武田側の前進基地として築かれた海津城がその始まりといわれており、永禄3年(1560)頃に普請が完了したものと伝えられています。
 
 慶長3年(1600)関ヶ原の戦いの後、城主となった森忠政の頃、二の丸・三の丸を整備し、土塁を石垣に築きなおしたものと考えられています。
 
 元和8年(1622)に真田信之が上田より移封されて以降、明治の廃城までの約250年間、松代藩真田家10万石の居城となりました。
 
 松代城は、北西側を流れる千曲川を自然の要害として造られた平城で、最奥部に本丸、南側の城下に向けて二の丸・三の丸・花の丸等の曲輪を構えていました。
 
 明治5年(1872)の廃城以降、建物は無くなったものの、昭和56年に本丸を中心とした旧城郭域の一部が新御殿と共に国史跡に指定されています。
 
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駐車場に車を停めると 正面に太鼓門が見えてきます。
 この辺りの復元建物が松代城の観光地としての目玉でしょうかね。
 人がひっきりなしに往来して中々写真を撮るタイミングがありません。
 
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門の手間には土塁も復元しているので、見学します。
 
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土塁の上から 公園外にある堀跡も撮影。
 
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本丸沿いを歩いてみます。 画像奥は先ほどの太鼓門と太鼓橋。
 古い石垣もいいですね。
 
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こちらは埋門の復元
 行ったことはないのですが、沖縄のグスクを連想しました。
 
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門をくぐり抜けて 土塁を撮影。
 曲線を描く土塁線がいい味だしてます。
 
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本丸北側の廓から 本丸櫓台跡の石垣を撮影。
 
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石垣をアップで、比較的隙間の多い積み方なので、そこに足をかければ登れそうです。
 ただし甲冑を着て片手に武器を持ってでは無理でしょうが・・
 
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本丸 東不明門の前です。
 橋だけ復元されています。 
 本丸の開門時間は9時から5時までです。
 
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石垣に謎の穴がありました。 欄干でも差し込んでいたんでしょうかね。
 
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本丸櫓台跡に登り 北不明門を撮影。
 石垣で組まれた虎口の形状が良く解ります。
 
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同櫓跡から埋門方面を撮影。
 此方側は土の城の雰囲気が色濃く残ります。
 
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最後に 太鼓門の枡型虎口内を撮影。
 石垣の石のサイズが裏側より大きめになってます。組み方も洗練されてます。
 

松代城の評価は 4 とさせて下さい。
 
復元されつつある櫓門や橋も、発掘調査等を元にきちんと再建されているようです。
 失われた松代城が蘇るように思えてこのような整備は大いに進めて頂きたい所です。
 欲を言えば復元が半ばで終わっている丸馬出し等、土塁を含めた広い範囲の復元も進めて貰えれば日本の「城」というものの理解が一般にも進むのではないかと感じました。