前回の難波田城から車で西に5分程で辿りつくのがこの多門氏館跡です。
えー読みですが “たもん”氏 ではなくて 「おかど」氏だそうです。 普通は読めないですね。
占地:独立丘状の低位台地。南は江川低地、 東は荒川低地に面する
面積:約30000平方メートル
調査地点数:2地点
調査面積:420平方メートル
主な遺構 ・ 出土品: 近世初期の領主であった多門氏の館跡。
堀や土塁が明確に残り、その規模から戦国末期の城跡とも考えられている。 また、 旧石器時代の石器なども発見されている。
発見の経緯: 江戸時代から城館跡として知られてきた。 以後、変更増補を重ねて現在に至る
※富士見市役所HPより
住宅街にひっそり残る小さな雑木林が多門氏館跡になります。
案内の類は一切無しです。
中央のコンクりの切れ目から城域に入れます。
富士見市のHPにあるように低位台地の端に位置しており、手前側(東側)は稲作地帯で城跡とは1メートル程度の比高差があります。
小学校裏手に路駐車させて貰いましたが・・・昨今こんな所でカメラ持ってウロツクと不審人物と間違われかねません。
コンクリ壁の切れ目から入り振り返って撮影。 道路と並行して堀と土塁の跡が続いてます。
左手が道路です。 かなり埋もれてますが堀と土塁の痕跡ははっきりと残ってます。
縄張り図は持ち合わせてないので解りませんが単廓式で1辺が50メートル程でしょうか。
北西側には折れが明瞭に確認出来ます。
廓内部は樹木が少ない為か意外に解放感があります。
こんな看板が・・・
廓の内部には、 立ち入りを阻むように
この「不法投棄禁止」の看板と
虎ロープでブロックされてます。
この近くにはゴミ捨てモラルのない
方が居住されてるようですね。
※廓内部にはゴミが全くありませんでした。
恐らく全て片づけてからロープを張ったのでしょう。
西側の土塁。 案外しっかり残ってます。
北側の空堀の現状。
土塁上から堀底までは2メートルは超えます。 遺構は立派、でも足元の粗大ゴミが・・・
城址の現状として、 周囲はすっかり宅地開発が進み ここも何時開発されるか解ったものじゃない雰囲気を感じました。
Yahooマップでは城跡南側は唯一の畑地ですが、 9月下旬の訪城時にはそこにまで分譲住宅が建設されてしまっており、 周囲の景色も城が現役であった頃の面影を全く失ってます。
ゴミこそは片付けられた様子ですが、 史跡指定も受けてないようなので、城址公園として整備をされる訳でもなく案内板の一つもない状況です。
こんな状態ですから、 行政サイドには積極的に城址を保存する意思は感じられませんでした。
開発されたら 「あっと」 言う間に消えてなくなるので 興味のある方はお早目の訪城をお薦めします。