ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

難波田城公園の外側にある城の痕跡

 埼玉県富士見市にある難波田城公園は 中世難波田氏によって築かれた「難波田城」跡を富士見市によって
 
整備された公園です。
 
 以前 当ブログでも取り上げましたが 街灯や舗装された廓など公園としては非常に良く整備されてます。 
 
 ただ 個人的には、 あまりにも綺麗に復元され過ぎた土塁や水堀は、 中世城郭の雰囲気からはかけ離れて
 
 しまい 「なんで こう復元したの??」 と 疑問を感じた城跡でした。
                            
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   難波田城公園 「城跡ゾーン」
 難波田城は、 中世に富士見市を本拠に活躍した難波田氏の城館跡で、 昭和36年、 埼玉県旧跡に
指定されました。
 荒川低地の一角に築かれた平城で、 規模は5ヘクタール以上と推定されています。
 難波田城公園は、 敷地面積約17000平方メートルの歴史公園で、 この貴重な文化遺産を保存し活用することを目的にその一部を 整備し、 平成12年6月にオープンしました。
 公園内は、 敷地中央の難波田城資料館を挟んで東西に細長く、 東側が難波田城の姿を復原した「城跡ゾーン」、 西側が市内に建てられていた古民家を移築復原した 「古民家ゾーン」 に分かれています。
 富士見市HPより 簡単な説明を引用
 
 

 

 
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 公園パンフにある縄張り図に番号を振りました。
低地の微高地に築かれた典型的な平城の形態だったのが解るかと思います。
 難波田城公園とは言え、 実際に公園化されたのは赤線の範囲のみ。 宅地化された本郭を含め多くの城域が整備対象から漏れています。
  なので今回は 以前訪城時は見てない公園外の城郭遺構の痕跡を探そう と再訪しました。
 
 
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  ①の画像です。  丁度 公園駐車場と道路を挟んだ位置になります。
水堀の跡らしき この辺りの田んぼだけが、 9月下旬ではあり得ない程に湿ってます。
 奥の民家の敷地も縄張り図の水堀の形をなぞっています。
 
 
 
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  城跡ゾーンも紹介します。 廓2(馬出) から廓3方面を撮影。
 
 
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 先ほどの廓2から土橋跡を本郭に向かうと 石碑があります。
石碑の奥 本郭内部は宅地開発されてます。 当然 公園の外です。
 
 
 
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 公園内には 城跡ゾーンの他に古民家ゾーンもあります。   
 城とは無関係ですが、 地元の旧家を移築展示してます。
 農機具や機織り機などの展示もあり見所多しです。
 
 
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五右衛門風呂・・前回訪城時
 は見落としてました。
土間と一体化した風呂は
 どうやって移築したんでしょうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 本題の公園外側に戻ります。
 再びの① です。 左手が公園で 道路右手が水堀の痕跡です。 道路建設で堀はほぼ破壊されたようです。
 
 
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 ②天神廓跡です。  道路奥に天神様が確認出来ますが・・明らかに私有地なので ここから撮影。
 奥に向かって周辺の田畑より細長く土地が高い様子です。 
 
 
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③辺りから北側を撮影。 田んぼが水堀の形状をなぞってます。 奥の竹藪とは若干の比高差がありました。
 
 
 
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 ④水堀の上を県道が走ってるようです。 右手が城跡。
 
 
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⑤ 畑の中に唐突にある矢倉台らしき土盛り。 木で良く解りませんが3メートルは超える高さがありそう。
 
 
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平坦な地形にぽっこりと・・かなり目立ちます。
 
 
 
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⑥ 北側2の曲輪から南側を撮影。 1メートル弱の比高差がありました。 蔵屋敷との境界? かと・・
 
 
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⑦ 地点から西側に向かって撮影。 
 右手の草地が2の廓の跡で左手の水田が水堀の痕跡かと・・ 電柱が逆光を遮ってくれます。
 
 
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⑧付近 本郭跡地の住宅地を撮影・・・ って 住宅の前に何か不自然な土の塊があります。
 
 
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 近づいて撮影。
 本郭の土塁がごく一部残ってました。 公園の土塁とは迫力が違います、 横の住宅と比較して高さ3メートルはありそう。
当時から残る貴重な遺構かと思いますが現在はこれを残すのみのようです。
  こおーいうのも保護して欲しいですね・・・