ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

新府城 (山梨県 韮崎市) ②

 前回の新府城① 城の北東端に位置する搦め手方面からの続きです。
 
 
 
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 搦め手の馬出状小郭には高さ1メートルほどの土塁が良好に残ってました。
説明板が無いのではっきりしませんでしたが、土塁が年月の割に角が立っているので復元かとも思えます。
 
 
 
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 に進むと舛型虎口があります。 虎口土塁上から城外土橋方面を撮影。
ここは完全に復元かと思われますが、 下草も藪もないので武田式の虎口の構造がよーく解ります。
 虎口内部は10メートル角程度、土塁は城内側2メートル・外側は1メートル程度の高さがあります。
 
 
 
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 先ほどの虎口を振り返って撮影。 整備されたのは最近みたいですね。
 
 
 
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 橋を渡り城外側より撮影。 奥の左手に先ほどの虎口が僅かに見えます。
土橋を渡った侵入者を方向転換させる意図でしょう。
 
 
 
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 橋上から水堀を撮影。 水の供給が多い様子で今でも水流があります。
幅は10メートル強と言った所でしょうか。 新府城で最も驚かされたのはこの水の豊かさ。
 
 
 
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 部に進んで此方は本丸西隣の 2の丸 土塁線上から全景を撮影。
それなりに広い空間ながら武田の居城の2の丸にしては少々手狭にも思えました。
    ※ 当日 ここでスズメバチに遭遇、 温かい時期は注意を要します。
 
 
 
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 本丸内部
ここはさすがに広い空間です。
 
 
 
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丸には幾つか神社があります。 こちらは本丸東端にある 藤武稲荷神社。
 
 
 
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 り返って参道を見下ろした所。
石段の途中2カ所見える踊り場(帯曲輪)を下ると城入口に戻れます。
 
 
 
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 ここは本丸北端の土塁線内側にある 「武田勝頼公霊社」 と 「武田14将霊碑」 です。
中央にある勝頼公社の周囲に14将の碑が控えてます。 
 
 
 
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 碑の裏の土塁に登ると八ヶ岳雄大な姿が稜線まで広々と見えました。
あの左手は諏訪方面でしょうか・・案外近い気がしました。
 それにしても当日、少し霞んでいたのが心残り。
 
 
 
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 南側に進んで こちらは 西三の丸
50メートル角位の敷地でしょうか。 周囲に土塁を巡らしているのが解ります。
 
 
 
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 城南側にある大手口に進みます。
城内側から舛型虎口を撮影。 搦め手と違い当時のままの保存状態のようです。
 
 
 
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 舛型虎口を抜けると 有名な丸馬出しが現れます。 
画像から両端がはみ出してますが正面土塁の湾曲が見てとれるかと思います。
 
 
 
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 馬出し先端から三日月堀を撮影。 綺麗に円錐形の土塁面が残ってます。
 
 
 
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 堀下に降りて撮影。 見上げても素晴しい仕上がりです。
大手口は現在の城内管理用車道から外れておりちょっと解りずらい位置にあります。
 
 
 
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 七里岩台地から降りて新府城方面を撮影。
は一転して県下有数の水田地帯です。
 台地上では比高数十メートルの丘に過ぎませんが、崖下から見るとまさに断崖絶壁です。
 
 
 利便性の良くない立地で中々行けませんでしたが今回、 念願の丸馬出し等をじっくりと見られて満足な
訪城となりました。 
 関東の城とは趣きが違ってまた新鮮です、ただ武田氏が滅びる直前に築かれた悲劇の城なのでどことなく
いつもと違う雰囲気を感じてしまいます。