ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

南熊井城 (長野県 塩尻市)

 南熊井城

 

訪問 2018年 11月

 

駐車場 無し(路肩駐車可能)

案内板 無し

 

  引き続き長野の山城編が続くのですが、今回だけは平城を紹介します。

 塩尻市に残る熊井城」です。

 

 北熊井城は2016年に紹介しましたが、当時は南熊井城の存在を知らずに未訪問に終わってました。

kurokuwa.hatenablog.com

 郭が連なる北熊井城と違い単郭の小規模な城郭遺構。

 さっと来てさっと見学できるので、記事も短めです。 

 

f:id:kurokuwa:20200607223952j:plain

 南熊井城 北側土塁線

 

 場所は以下のURLを参照して下さい。

 

 

 

 

 城尻インターからほど近く、車での訪問には便利な立地。  

今回は他のお城訪問の帰りに立ち寄りました。

 目印はお隣にある松林寺さんになるでしょう。

 

f:id:kurokuwa:20200607224014p:plain

上記の地図は北熊井城と南熊井城の位置関係をヤフー地図に落とし込んだもの。

 

 北熊井城は扇状地形の侵食谷を利用した立地、南熊井城は平地に残る段丘崖面を利用した立地になります。

 

 今伝わる両城の名前からは、南北の熊井城が連携して一つの城郭として機能していたような印象を受けます。

 

 が、

 

この二つの城を本当にセットで捉えていいのでしょうか?

 

 直線距離で約1キロとそこそこながら、両城の間には河川や段丘面の崖地形もあり相互の連携はあまり取り易いとは思えないんですよね。

 

 伝承では、武田の小笠原氏攻めの際に拠点として利用されたとか。

 

 北熊井城は広大な城域があり、小笠原氏攻略の策源地としては最適でしょう。

 しかし南熊井城は、地域の方形居館跡と説明を受けたら鵜呑みにする位のコンパクトな城域しかありません。

 

 

f:id:kurokuwa:20200607224101j:plain

  さてさて妄想はこの位にして、南熊井城にお邪魔する事にしましょう。

 

 駐車場は用意されてませんが、城の北側 に路駐できる道幅があります。画像右側は既に南熊井城です。

 この切通し状の道も、段丘崖面に生じた侵食谷地形を空堀として利用した遺構と思われます。

 

f:id:kurokuwa:20200607224324j:plain

 道路沿いに案内板が設置されてます。

 残念ながら縄張り図はありませんが、案内板背後に単郭式の方形居館のような縄張りがあります。

 

 リンクを貼ったヤフーマップ地形図でも北側を除いた3方に空堀を巡らせている様子が薄っすらと載っているのが判ると思います。

 

 

f:id:kurokuwa:20200607224347j:plain

なんとも味わい深い標識。

f:id:kurokuwa:20200607224406j:plain

 では早速お邪魔します。

  北側は段丘の崖面で元々天然の切岸と言って良い地形ですが、それに加えて横堀を巡らせて防禦力の強化を図ってます。

 

 

f:id:kurokuwa:20200607224424j:plain

 横堀の堀底から撮影。

 右側が北側土塁線、左側が郭方向。

 北側の脅威に強く意識した縄張りにも思えます。

北側=小笠原氏 と考えていいのですかね?

 

f:id:kurokuwa:20200607224557j:plain

  東側の横堀が土塁線を越えて段丘面下まで延伸されている様子。

 郭は狭くとも、堀の掘削にはかなりの土木量が投下されていた事は窺えます。

 

f:id:kurokuwa:20200607224617j:plain

 郭内は現在畑です。

 完全に私有地でちょっと散策が憚られたので、南熊井城の訪問は以上です。

 

 南熊井城の評価は 3 とさせて下さい。

 耕作地化されてはいますが、堀を主体として遺構はかなり良好な状態で残されている点が高評価です。

  標識なんかは、地元の方が手作りされたんでしょうね、いい味出してますが可能であれば行政による標識の設置も欲しくなってしまいます。