砥石城
訪問 2018年 4月
駐車場 有り
案内板 有り
本来はヤフーブログの最終投稿の予定でしたが、不具合によりアップ不能に陥りましたのでハテナブログからアップします。
砥石城のある上田市北部には数多くの真田氏関連と伝わる山城が残りますが、砥石城はその中でも群を抜いた規模を誇ります。
それだけに周辺の山城と比べて訪問者が大変に多く、従って城域の整備も大変良好に保たれています。
さて肝心な城の構造ですが、周辺の山城のような 「山頂に主郭を設けて背後に堀切を挟んで2郭を造成して終わり」 と言ったなシンプルな造りではありません。
複数の山頂部を城郭化した構造を持ち、各々「枡形城」「本城」「砥石城」「米山城」と呼称されますが、各城は稜線で繋がっており全体もって砥石城と見ていいのではないでしょうか。
砥石城「本城」部の郭群
場所は以下のURLを参照して下さい。
使い古しですが 既出の訪問済城郭分布図に砥石城を加えてみました。
狭い盆地に異常に密集した城郭群から この地域のおかれた軍事的緊張が伝わります。
細かいウンチクはこの位にして早速 砥石城に参りましょう。
砥石城は幾つかの登城ルートが存在してますが今回は最もメジャーな復元櫓門からのルートになります。
ここは 有難いことに無料の駐車場・トイレ・案内板が完備してます。
駐車場脇に描かれた 真田十勇士のイラスト。
地元の学校の生徒さんの作品らしいです。 十勇士は創作で・・いやいや何でもないですよ。
これは駐車場にある砥石城のルートマップ。
今回のルートを加筆。 時計回りに一巡しました。
ではでは、櫓門から登っていきます。
この門は 当時の物でも復元でもなく、砥石城のイメージを再現したものですので。
門くぐるとなだらかな尾根道が続きます。
砥石城を含む山体の中でこの支尾根は「米山城」 と「砥石城」と二つのピークを結ぶ稜線にぶつかります。
つまり、この尾根を登られると守備側は両城の連絡線を遮断される訳ですが・・その割には自然地形のままなんですね。
その尾根を登と左手に見えてくる「米山城」
さて尾根の終点まで来ました。
左に折れて「米山城」右手の尾根道を登ると「砥石城」になります。
やっぱり櫓門からここまで防禦構造らしい遺構はなかったですねぇ、見落とし? でも見落とす程度の障害しか設けていなかった訳ですね。
堀切等を用いた防禦構造を設ければ城からの出撃に障害になるので敢えて設けてなかったのでは・・と勝手に妄想しましたが、それならばかなり攻撃的な城郭構造になります。
さて、 ひとまずは左手の「米山城」のあるピークを目指しますが・・
足元が滑り易いので画像左手の巻き道から「米山城」山頂をに登ります。
こっちの方が大分登り易いですね。
切岸を越えて
南側から「米山城」主郭に到着。
主郭は2段式。
その案内板。
白米アピールの伝承はここに限らず色々な城で伝わってますが・・どこまで信じてよいものなんでしょうかね?
そもそも 当時の精米技術で真っ白になってたんでしょうか?
さて、一般的には真田の城として有名な砥石城ですが、忘れてならないのがこの石碑にある「村上義清公」の存在ですね。
わしの城じゃぁ と言っているような石碑。
富士山は見えませんでしたが麓の上田市街は一望です。
「米山城」から見上げた「砥石城」 あちらの方が標高があります。
では早速「砥石城」方面の尾根道を辿ります・・がこれがまたひたすら階段を登るという苦行のような道のりなんです。
途中、岩盤を利用した虎口がありますが
またすぐに単調な尾根道に戻ります。
この尾根道にも堀切などの堅固な遮断線は設けられていません。
しばらく登って「砥石城」が見えてきました。
画像正面に郭の張り出し部がありますが判りますか?
その郭内部の様子。
山頂部を削平化した小規模な郭です。
その案内板。
この郭は上田市街地が一望の絶景ポイント。
郭の面積からして、ここは物見台の役割を担っていたのでは?
背後は巨大堀切によって遮断されてます。
こちらの画像は「砥石城」を東側の支尾根から見上げて撮影したもの。
ルート加筆の案内板で「砥石城」の右手に少しだけ矢印を伸ばしているルートがこれです。
こちらの尾根は堀切でしっかり遮断されてます。
その先の尾根沿いの郭。 簡易的な段郭といった所でしょうかね。
試みで更に先まで尾根を降りてみましたが、自然地形の尾根が続くだけでした。
支尾根は諦めて、背後の大堀切から「本城」方面へ進む事にします。
足元は石積み遺構の名残かと。
降りて「本城」側から撮影。
ちょっとしつこいですが引きのアングルでもう一枚。
堀切を過ぎると尾根の幅が広がります。
砥石城2 に続きます。