日本城郭大系には 「箕輪城と相助ける別城一廓の関係にある」 と記されています。
-本郭北側空堀-
整備された箕輪城と違って この様に現在は鬱蒼とした森の中です。 足元が じめ~っと してて気持ち悪い堀底でした。
城郭大系によると 1,566年 武田軍によって箕輪城が落とされた時、 連絡を遮断された鷹留城も武田の
攻撃を受け 城将 「長野業通」 は弟 「業勝」 「業固」 と共に防戦するものの業勝は討死、 業通らは吾妻に走ったという。
現地の標識によると城域は南北430メートル 東西300メートル とあります。
日本城郭大系の縄張り図です。
縮尺が漏れてますが 本郭辺りの太い所で100メートル強くらいです。 案内板の寸法とは異なります。
策源地の箕輪城よりずっとコンパクトな構え。
フルーツライン沿いにこの様な案内が
あります。
この前に車を停めました。
山道を300メートル歩くのは・・・と 思って
いた所 目の前の森が鷹留城でした。
フルーツラインから徒歩2~3分で冒頭の空堀の所に出ます。
右端の土塁を登ると そこが既に本郭でした。 斜めから石柱を撮影したは正面側が草に埋もれて全く
入り込めなかった為。
本郭全景。 日光が差し込むのは本郭のここだけでした。 雑草が茂り放題でほぼ管理されてませんね。
本郭南側 縄張り図に 2 と記した廓との間の堀切りを撮影。
ここの本郭側の土塁は10数メートルを超える高さがありました。
本廓東側の帯廓より 本郭を撮影。 本郭までは見上げる程の高さです。 中央の切り込みは虎口です。
2郭側から先ほどの帯廓辺りを撮影。 手前は堀底道です。
コンパクトな城域ながら兄貴分の箕輪城に負けず劣らず堀って掘って堀込んでました。
2廓南側から 廓内部を撮影。 明確な土塁の痕跡は良く解りませんでした。
が、 2郭北端には何故かお墓が一基あります。古くないしちゃんと手入れもされてる様子でした。
奥には本郭が見えます。
城内のあちらこちらにはこの様なに歌が刻まれた謎の? 石碑が置かれてます。
その割には各廓の標識等は一切見られません。 ん~城の説明もお願いします。