小川城は前回取り上げた名胡桃城から車で10分もあれば着ける距離にあります。
縄張りは名胡桃城と類似しており段丘端面が浸食によりV字に突き出した箇所を横掘で断ち切って廓にした
連廓式の城郭です。
只 全体的に名胡桃城と比較して敷地も狭くまた廓も2郭のみであり、 それも2の郭が国道建設で破壊され
現状は本郭のみとなってます。
実は期待もせず名胡桃城のついでに立ち寄った訳なのですが、 本郭導入部の虎口形状や空堀等の
遺構が中々の物でして 名胡桃城とセットで訪城するには最適な城郭かと感じた城です。
城傍の国道から眺めた本郭空堀と虎口
現地案内板による小川城の由来をかいつまんで
小川城は沼田城城主 「沼田景久」 が西への備えとして1492年に築き その二男 「次郎景秋」 に知行700貫で統治させた。
その後1524年に当時の城主 「小川景奥」 が子息がないまま煮えたぎる酢甕の中に落ち戦死を遂げ
※捨五郎とは何者だったのでしょう・・
以降は日本城郭大系をかいつまんで
※以降 沼田真田氏5代目信利が1657年まで2廓に築いた陣屋に居住していたがその後は廃城とされたようです。
上記 縄張り図は日本城郭大系より
2の郭上の2本線は国道現す為に加筆しました。