またしても城郭とは異なる話です。
セスナ等の小型機の離発着などに使われる空港です。
小規模な空港なので、 味の素スタジアム の隣にある飛行場 と言えば解り易いでしょうか。
防空戦闘で戦果を上げています。
当時、 飛行場周辺には 敵の攻撃から航空機を守る格納庫 「掩体」 が無蓋(屋根なし)が30基
有蓋(屋根あり)が30基の計60基余りが作られ、その内有蓋4基が今でも飛行場周辺には残っています。
現在の調布飛行場滑走路北端 実に広々としています。
当時の日本で畑の肥料と言えば人糞が当たり前ですから・・
現地案内板の内容をかいつまんで説明すると・・
調布飛行場は昭和14年に予備国際飛行場と 航空試験飛行場 ・ 陸軍訓練飛行場 としての使用目的により 着工されました。
しかし労働力不足の為、 近隣の府中刑務所の受刑者や中学生までも動員し昭和16年の4月には、
南北に1,000メートルの滑走路、 東西に横風用滑走路700メートル と格納庫等が完成しました。
しかし完成後は時局柄 陸軍が全面的に使用し、首都防衛の為、戦闘機 「飛燕」 を中心とした陸軍飛行部隊 が配置されました。
地図右上 公園内と書かれた掩体です。 大沢1号と呼ばれています。
同じく大沢1号です。 入口は塞がれており当時格納されていた3式戦飛燕の絵が描かれています。
思っていたより小さな物に感じました。 フェンスの高さが2メートル程度でしたから 飛燕ギリギリのサイズ
で作ったのでしょうか。
大沢1号の隣にある模型です。
掩体をアップで撮影。 鉄筋がむき出しなのは戦後の物資不足の折にクズ鉄として抜き取られたからだそうです。
それにしても・・砂利の比率がやたら高いコンクリです。
こちらは同じ公園にある大沢2号です。 1号と同じ寸法のようです。 航空機が大型化したら格納出来なくなりそうな気がしますが・・。
同じく公園には飛行場建設と同時に作られた玉石張りの水路の一部が現存しています。 石は多摩川から採取して建設にはやはり受刑者や中学生も動員されたそうです。
後ろから撮影。 前よりもすぼまっていて 穴もあります。 多少埋もれています。 かなり仕上がりが荒く 速成で作られたのが伝わります。
推定復元図。 戦後60有余年で埋没した訳ではなく初めから 半地下だったようです。
現飛行場東側には 開設当時の 「東京調布飛行場」 と書かれた門柱が残ります。
※残り一つの掩体は私有地の為、調査してません。