①の続きになります。
再び 「黒備え馬賊」 さんから拝借した縄張り図です。
縄張り図にある 馬出し から2の廓へ繋がる土橋。 大変狭く、進むには一列縦隊になりそうです。
土橋の途中から空堀の外郭側を撮影。 見事に堀が残ってます。
堀底に畝の痕跡が残ってました。 草が茂る初夏に、この僅かな痕跡が確認出来るのも下草が刈りこんで
あるおかげですね。
2の郭全景。 足元の土塁は最大2メートル程度です。
縄張り図の左下、道路に面した二重土塁跡には 滝の城跡保存会の方が掲げた幟旗が翻ります。
同じ土塁の七曲坂に面した所には 「血の出る松跡」 と書かれた案内があります。
ここには昭和47年に枯れて伐採されましたが、傷付けると赤い樹液の出る黒松が植わっていたそうです。
場所が城郭跡だけに心霊スポット的な扱いもされているようです。
その碑の脇に置かれている石仏です。 阿修羅像の野仏って余り見たことないのですが・・
何かいわくがありそうです。 奥に見える土塁は2の郭です。
更に七曲りと呼ばれる坂道を下ると、 「霧吹きの井戸」 がありました。
同じ名称の井戸ってあちこちの城郭にあると思いますが、ここにもありました。 ご覧の通り既に埋まってます。
この井戸も敵が攻め寄せると煙幕状に霧を吐き出したのでしょうか?
七曲から本廓跡にある城山神社への参道脇には小さな削平地がありました。
丁度 本郭と2の郭の間にある空堀へ進む敵をけん制する為に作られた堡塁ような役割だったのでしょうか。
参道の途中から空堀を撮影。 右手が本郭、左が2の郭です。
この様に堀の導入部は堀底がV字の薬研堀状になっております。 ここも進むには一列縦隊でしょう。
先ほどの堀を進んで振り返って撮影。 このように空堀の奥は割合広い堀底になってます。
本廓に建つ城山神社
城山神社裏手には四脚門跡が発掘されたそうです。 ここから空堀を隔てた馬出しへ引き橋が架っていた
そうです。
この位置は、 再訪①の最後の画像で空堀に写る畝の部分にあたります。
本郭土塁線上で一際高く、矢倉台跡と思しき所には稲荷神社があります。
この矢倉台からは、 冒頭に掲載した2の郭へ続く土橋を左側面から射撃出来る位置になります。
本郭から見た柳瀬側方面です。 比高25メートルとは言え かなり遠方の様子まで見れた筈です。
東京近郊でよくぞここまで遺構が・・・と言える程中核部の遺構の保存状態は素晴く、 遺構も中々の規模と
技巧的な縄張りは一見の価値ありです。
惜しむべきは外郭部がほぼ消滅状態の現状でしょうか。