打越城・信綱寺
訪問2017年 8月
駐車場 有
案内板 有
今回こそは草ぼうぼうではありません、通年で訪問が可能です。
周囲を含めて「古城緑地広場」として整備されており、寺の背後にある「信綱公墓所」などの見所も多い為、2回に分けての紹介になります。
ちなみに漢字の読み方ですが
打越=おっこし
信綱寺=しんこうじ
だそうです。 ・・・地名の読み方はいつも難しい。私は間違えて うちこし と読んでました。
信綱寺 黒門へ向かう小路
今回は、信綱寺の紹介を次回は打越城を紹介します。
場所は、以下のURLを参照して下さい。
前回の地図を再利用して掲載します。
信綱寺の南側に小川を挟んで東から細長い尾根が山から伸びており、南側からの視界を塞ぐ目隠しの役割を果たしています。
打越城はこの細尾根上に築かれた山城になります。
遠景からでは、背後の山と細尾根が一体化して見え裏側に信綱寺がある小さな平地がある事は全く予想が付きません。
又、唯一の開口部である西側は、草ぼうぼう「尾引城」によって睨みを効かせていたのではないでしょうか。
打越城を南東側から撮影した遠景です。
ここからでは、この裏に寺を含む平地がある事は判らないのでは。
現地の概略図です。
駐車場は 信綱寺側と打越城(黒門のある尾根)の南側にあります。
当時、例えばここに屋敷が建てられていても画像右側の打越城の尾根が邪魔して外部からはまず見えなかったでしょう。
なんと言いますか隠れ里のような
城は後回しにして「信綱寺」にお邪魔します。
ここで、信綱寺を現地案内板の抜粋で紹介します。
大柏山 信綱禅寺
[本尊 釈迦牟尼佛 曹洞宗]
当寺の創建は室町期、横尾城の東の梅ノ木に横尾氏の菩提寺として好雪斉大柏寺と呼ばれ、横尾氏滅亡(上田原合戦)後、真田信綱公が寺を打越に移し、大光智照禅師を迎え大柏山打越寺と名付けられた。
その後昌幸公が長兄信綱公の牌所として寺堂を改築され、大柏山信綱寺と改められた。
以下略
本堂は石段を少し登った所にあります。 木陰が涼しい・・
本堂の様子。
信綱公墓所は裏手の山腹にあるのでここからまた少し登ります。
途中で麓を撮影。 正面の森が「打越城」のある細尾根。
墓所に到着。
墓石が3基ありますが、
左が 信綱公婦人
中央が 信綱公
右が 昌輝公
詳しい解説は、こちらを拡大してご覧下さい。
上の兄2人が戦死しなければ、真田昌幸はひょっとしたら武藤さんのままで真田氏の行く末も歴史とは全く異なった展開になっていたんでしょうね。
良く見れば「滋野」の姓になってますね。
打越城・信綱寺2 に続きます。