中世城郭の宝庫として有名(一部では) な埼玉県比企郡へ先日再び行ってみました。
とは云え、温かいこの時期に大汗をかきながらの山城攻略は気が進まず、 今回は平城の「菅谷館」です。
明確な築城者や、その用途が不明な 中世城郭ですが、 都幾川北岸に広がる台地に広大な郭と大規模な
空堀や土塁が良く残り圧巻です。
又、敷地内には 「嵐山史跡の博物館」 ※があり、ここで比企の城郭群の情報収集が可能です。
※夏季を除き入館4時まで、閉館4時半です。
本郭
現地縄張り図に加筆
都幾川方面が南になります。
城跡と隣接して 「オオムラサキの森」 や 「ホタルの里」 などの公園も併せて整備され大変豊かな森が
残ります。
博物館付属駐車場は無料ですが5時15分施錠とありました。
郭3より西郭方面を撮影。 広いですね・・西郭までは見通せず。
日差しが強い日で木陰が有難く感じました。 このまま西郭を目指します。
西郭との虎口手前に 蔀(シトミ)土塁の一部が残ってます。
蔀土塁は土塁開口部の奥に築かれて、内部を見せない、あるいは射貫されない為に築かれました。
西郭から先ほどの虎口を撮影。 奥が3郭です。 木橋が復元されてます。
欄干を含めそこかしこに 「マムシ注意」 の注意書きがあります。 幸い遭遇こそしませんでしたが、どうも下ばかり気になってしまいます。
土塁・空堀とも見事に残ってます、幅10メートル強、堀底から土塁上まで3~4メートル?位あります。
堀底が小川になっており往時は水堀として機能していたのかも知れません。
水がある関係か確かに蝶(種類不明)が舞っておりました。
オオムラサキの森を抜けると公道に出ます。
その向かいの森に鎌倉街道の石碑があります。
その石碑です。
鎌倉街道の存在は築城に関して大変重要だったはずです。
堀幅10メートル以上はあります。 郭2の土塁頂部と外部との比高は3メートルは優にあります。
城内に戻り 郭3の突き出しから縄張り図の⑨に向かって撮影。 当時も水堀だったのでしょうか。
かなり澱んでおり籠城の際の飲用には厳しいものがあります。
堀向こうの虎口左手には矢倉台の土盛りがあり、そこに畠山重忠石造があります。
菅谷館と書きましたが実態は純然たる戦闘施設です、菅谷城です。
築城主に関しては北条氏説や上杉氏説などありまして結論は出ていないようです。