ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

深大寺城 (東京都 調布市)

 深大寺とその隣接する深大寺植物公園一帯は、 東京都下では超が付く程の有名な観光地です。 
 
ここの一般的な楽しみ方は深大寺の参詣や 植物公園の見学、または有名な深大寺ソバですが、 今回は
 
深大寺城のみの紹介です。
 
 深大寺城は深大寺植物公園の分園にあたる 「深大寺水生植物園」 内にあります。 休日はどっと人が溢れる
 
深大寺界隈ですが城域は公園の端部に当る為か大変静かに見学できます。 (城の知名度が低い?)
 
 又、有難い事に分園のこちらは無料で解放されております。
 
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中央自動車道 側道より深大寺城本郭を撮影
 上杉氏と敵対しながら相模国から武蔵国へ勢力を北上させつつあった北条氏綱は、1524年に江戸城
勢力下に収め、武蔵攻略の拠点を確保。
 それに危機感を感じた扇谷上杉氏は、当主 朝定が、 重臣の難波田弾正忠広宗に命じ1537年に築かせたのが この深大寺城です。
 只、 北条氏は前線の深大寺城を攻略する事なく直接 扇谷上杉の策源地である河越城を落したた為、
以降 存在意義を失った深大寺城は廃城とされたとあります。
 
 

 
 城の形式としては、水生植物が植えられた旧湿地帯?に突き出す舌状台地を1・2・3 と連郭式に区切り、
その周囲に帯曲輪を配してます。
 現在の状態として外側の郭3はテニス場として消滅、 郭2の一部と本郭は良好な姿を留めています。
南側の帯曲輪の一部は郭の形状そのままで宅地開発されている様に見えました。
 
 
 
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水生植物園の園地です。右手が城址になります。 植物は不得手でよく解りませんが植物園として無料開放が勿体無く思える程素晴しかったです。  ここは舌状台地に挟まれた谷地になります。
 
 
 
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 郭1から郭2方面を撮影。 比高3メートル位でしょうか、土塁が良く残ってます。
園地から段丘面を遊歩道に沿って登ると郭1・2の間の虎口前にでます。 虎口左手は矢倉台跡。
 
 
 
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 現状の地形を元にした縄張り図です。  実際は郭2もかなりいじられてますが都心に近い調布でここまで現存
していれば良い方かも知れませんね。
 
 
 
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 先ほどの矢倉台に登って郭2方面を撮影。
  郭1から突き出しぎみに位置し隣接する虎口を支援してます。 木が邪魔ですが足元に空堀が見えます。
 
 
 
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 矢倉台から降りて空堀を撮影。 
 現地案内板によると史跡保護の為、空堀に盛土を施したそうです。 
当時はもっと鋭角に深く、又土橋の幅も狭かったようです。
 
 
 
 
 
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 郭2は芝生広場と呼ばれ解放感があり実に広々としてます、 丁度近所の子供達がサッカーに興じてました。
奥の森が郭1で、森の手前に先ほどの空堀が見えると思います。
 
 
 
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 芝生に並ぶ石達は当時ここに建てられていた掘立小屋の柱穴を現したものだそうです。
実は、柱の間隔を測ろうとメジャー持参したのですが・・横でサッカーが盛り上がってますし、恥ずかしいので
断念。
 
 
 
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 郭2にはそば畑もありました、さすが蕎麦処。
 
 
 
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郭2の二重土塁です。 この先は破壊されてます。
 
 
 
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 郭2の虎口、 この先は一段下がって民家が建ってます。
位置的に帯曲輪に思えました。 この辺りの土塁も盛土で保護してるのかに思えます。
 
 
 
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 郭1に戻り土塁際から園地方面を撮影。 下の東屋がある平坦地は帯曲輪の跡です。
一転して木々に覆われてます。
 
 
 
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 土塁に沿って進むと城先端部に虎口があります。
この虎口の先は急勾配で落ち込みます。
 
 
 
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 虎口をから斜面を降りると、 切り株の所に切岸状の削平されたような平坦地がありまして・・
 
 
 
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その下にはフェンスの彼方に堀底道らしき遺構があります。 かなり急こう配です。
 
 
 
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 堀は植物園の敷地外になるのでしょうか? だとしたら開発による破壊も心配です。
この日は迂廻路が解らずフェンス前で断念しました。
 この堀の反対側はトップ画像の中央道側道になります。
 
 
 16世紀前半に廃城された経緯がある為、専門的に観察すると縄張りに甘さや発展途上の形態が残り貴重な遺構なのでしょうが、小生はそこまでは解りません。
 只、 小ぶりな城域ながら破壊を逃れた遺構は明瞭に残り見ごたえがありました。