ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

松山城 (埼玉県 吉見町) 1

松山城  (埼玉県 吉見町)
 
2011年6月 訪城
 
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訪城から大分時間が経過してしまいました。  
 ブログにアップするにあったて、どうも 中身がまとまらなくつい後回しに・・・いい加減にしないと忘れてしまいそうなのでアップすることにしました。
 
 

 
今 地図を掲載するので 気づきました。
 松山城は、東松山市ではなく隣の吉見町にあるんですね。
今 丁度 読んでいる 「城取りの軍事学」 という本で、城下町の事で少しばかりこの松山城の事に触れています。
 
 松山城は 市野川に3方を囲まれた台地上に築かれた城郭で、台地続きの北東に向けて防禦を固める構造ですが、なんと城下町は市野川の対岸にあり、全く城の防禦姿勢とは無関係であったそうです。
 そんな訳で?? 今も東松山ではないのでしょうか。
 
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城のお隣にある 
 吉見百穴無料駐車場に
停めて この県道沿いの
入口からスタートします。
 
 
大勢の観光客で賑わう
 吉見百穴と違ってこちらは
 人がおらず実に静か。
 
 
 
 
 
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 入口にあった縄張り図です。
 現在位置から登りました。 
 いきなり本丸跡に出るので 搦め手から攻める事になります。
 
 
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6月の梅雨時期でしたので、内部は既に草木が茂り半ばジャングルでした。
 なので 余り写真は期待しないで下さい。
 
 
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 暫く進むと 堀切り状の地形に当たりました。
 
左手本郭と 笹廓の間でしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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少し開けて来ました。 
 左手が 本郭の土塁面で、 正面から右手にかけてが 空堀です・・・ 激しく茂った植物の為 下に降りる事は不可能でした。
 
 
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堀底から 石段を登って本郭に行きます。
 石段からも解る様に 勾配も、高さもそれ程でもありません。
 
 
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本郭内部の様子。 
 草も適度に刈られております。  案内板なども充実してました。
 
 
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本郭 物見櫓跡から 空堀を挟んで 2郭方面を撮影・・だったと記憶。
 右下の本郭と2郭を結ぶ道は 一旦堀底に降りて行きますが底面では、土橋状になってます。
 
 
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2郭から 縄張り図右下に延びる道を進み、 堀底から2郭を見上げて撮影。
 この辺りが 最も高低差と土塁の勾配がありました。
 石段が一つだけグラグラしてて、降りる時に転落しそうになりましたが 今は直っているのかなぁ
 
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スイマセン 場所を忘れましたが 右上は2郭の筈です。
 侵入者を 複雑な堀底で迷わせる構造は流石という他ありませんでした。
 
 
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2郭内部の様子だったと思います。
 画像両端部は空堀になり、 各廓が非常に狭いのが印象的でした。
 土塁も基本的になかったようです。
 松山城の定員?? はどのくらいだったのでしょうか。 
攻防の舞台として登場する割には、コンパクトに思えます。 
  無名ですが 近くの菅谷館の方が遥かに多くの人数と物資を収容出来そうです。
 
 
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撮影場所は忘れましたが 廓と空堀です。
 堀の深さは平均で5m程度でしょうか。 折れたりうねったりと 堀底を移動する限りは見通しが効きませんし、迷子になりそうです。
 
 想定通り、攻城軍が堀底で右往左往してくれれば 廓上から射かけたり槍で突いたりできるのでしょうが、 各廓は小規模でどれだけ押し込めても、少人数であった筈です。
 
 それに各廓間の連絡は一旦堀底に降りる必要があります。 外側の廓から一つづつ潰されてしまえば案外脆かったのでは・・などと考えながら回ってました。 
  
 松山城2に続きます。