今回は黒備え馬賊さまと、 初の共同訪城となった深見城の報告です。
神奈川県中央部にある16世紀の陣城、 深見城を案内して下さると声を掛けて頂きまして、 お互い日時を調整し
てようやく現地での初会合となりました。
当日は深見城の資料と縄張り図まで用意して頂いた上に、現地にて歩きながら詳細な説明をしていただき
感謝感激でした!! 俄か城マニアの小生とは訪城時の着眼点の違いを実感しました。
深見城 天笠坂
深見城は、 相模台地の東縁部にあたる境川に舌状に突き出した比高15メートル程の段丘面上に築かれてます。
城北側を崖面として城域は東西85メートル・南北140メートル程度。
単郭式であり規模こそ小ぶりながら台地続きになる南側には極めて技巧的な遺構が残ります。
築城者に関して 「新編相模国風土記稿」 によると15世紀中葉に山田伊賀守経光とありますが遺構と年代が一致しないのが現状です。
又、当時付近には矢倉沢往還(現国道246)・鎌倉街道等も通じ交通の要衝であったと考えられます。
※補足
空堀の幅が狭く、火器の使用を考慮する以前の特徴を備えてる為、16世紀前半の築城ではないでしょうか。
又、戦術上の前線や戦略拠点を扼する為の築城であることを考慮すると明確な城主は存在しなかっと思えます
それを裏付けるように発掘調査でも居館等の大規模な建築遺構は発見されていません。
現地縄張り図に加筆
境川沿いは全て断崖となっており当時も今も左手の天笠坂以外には登坂ルートはありません。
この図からも設計者の巧みな縄張りが解ると思います。
天笠坂を図のA郭脇から見下ろした所。 堀底道状になってます。
又、発掘調査によって堀底に畝状の遺構が発見されてます。 今では堆積物によって痕跡すらありませんが
縄張り図には記載されてます。
城の隣の北部浄化センター側から天笠坂を撮影。
ここからも城と関連するであろう排水遺構が発見されたようです。
境川方面よりて天笠坂を見上げて撮影。 左手が本郭になります。 この位置からでは坂の先が見通せません。
境川より深見城遠景。
郭A右端から 郭Bから本郭西虎口方面を撮影。 中央の凹地へ誘い込まれるように造られています。
先ほどの凹地に降りました。周囲は全て郭に囲まれた小空間です。
本郭内部 西虎口から虎口方面を撮影。 下草伐採などの管理は行われてない為、全体的に遺構の写りが悪い状態です。
本郭内部です。 もっさりと木が茂り進めませんでした。
井戸跡もこの辺りで発見されてますが現在は埋め戻されてます。