ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

神宮寺城 (茨城県 稲敷市)

神宮寺城

 
訪問 2018年 3月
 
駐車場 無し(駐車余地有り)
案内板 有り(縄張り図無し)
 
 
 単発で茨城のお城紹介になります。
 
神宮寺城を一言でいうなら ザ関東平野のお城 でしょうか。
 地形の起伏が乏しい地域になりますので土塁と空堀を主体とした防禦構造になります。
 また神宮寺城の特徴としては、防衛よりも城域の確保に主眼が置かれていたような縄張りを持っています。
 
 
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 神宮寺城 1郭2郭間の空堀
 
 
場所は以下のURLを参照して下さい。
 
 

 
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神宮寺城の位置をグーグルマップに落とし込みました。
 
 霞ケ浦がいつもより大きい・・ですよね、 これは以前紹介したFL00D MAPS で水面を6m上げて低地を水没させた状態です。
 
 これで 中世まで存在した香取海を再現しました。
 水域はあくまでも推測ですが、まぁ中世の関東平野は我々が思うよりもずっと内海が内陸まで侵食している水郷だったと思います。
 
 こうすると、今では関東平野にポツンと残る神宮寺城ですが、当時は半島の先端に築かれた立地であった事が判ると思います。
 
 
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適当な縄張図が入手できなかったので又しても余呉さんのホームページから借用させていただいております。
 
 現在残る縄張りは比較的単調な物になります。
 平坦地に空堀と土塁を巡らせて幾つかの郭を設けています。
 
 
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図の上端にある県道107号沿いに城の案内があります。
 
 車はこの脇に停められましたが・・この時なにやら造成工事がされていたので現在停められるかは不明です。
 
 
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城の歴史は意外と古く南北朝時代南朝方が城に拠っていた事が示唆されています。
 後半にでてくる小田城・関城・大宝城 偶然にも全て訪問済でした。
 
 なにか南朝方に縁でもあるんですかね・・
 
 
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さっそくお邪魔します。
 正面の森が1郭の空堀と土塁線。
 
 
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でも その手前にも浅い空堀が残存してます。
 
 
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畑側にも僅かに空堀の地形が確認できます。
 
 
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畑側の空堀を縄張り図に加筆した所。
 本来は工場の敷地まで延びていたのかもしれませんね。
 
 
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こちらは1郭の空堀に接近して撮影した所。 古い城郭遺構ですがこの辺りは良く遺構が残されてます。
 
 
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空堀がきれいなラインを描いてますね。
 
 
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こちらは1郭土塁の上から郭内部を撮影した所。広大な敷地が確保されています。
 
 
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土塁上の石碑。
 
 
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1郭内部に降りて全体を撮影。 
 
 
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土塁に沿って溝状に掘られた地形が残ります。
 これは郭内部の排水用ですかね。
 
 
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虎口を抜けて2郭へ
 
 
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1郭・2郭間の空堀は荒れ果てた竹藪でとても入れてものじゃないです。
 
 
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1郭の土塁線上から2郭方向を撮影。
 2郭内部も荒れ放題で、ちょっと入る気がおきません。
 
 
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土塁線だけは歩ける状態です。
 
 
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場所は変えましてこちらは3郭の状況。
切岸地形が僅かに残存します。
 
 
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土塁も微妙な具合に残っていますが 3郭の遺構はかなり改変されてますね。
 
 
 

神宮寺城の評価は 3 とさせて下さい。
 
平地の遺構としては残存具合はまぁまぁと言った所でしょうか。
 
 縄張としてはシンプルですが空堀・土塁はかなりの規模で造作されており見ごたえがあります。
 
 現在残る縄張りから推測すると本来はもっともっと城域は広かったのでしょうね。
 同じ茨城の小田城の様に幾つもの郭を多層構造で連結していたのではなかったのかと・・