小沢城①の続きです。
井戸跡を過ぎると現地案内板に小沢峰と書かれている物見跡があります。 山頂部を5~6メートル四方位
削平してるのが解ります。
小沢峰の西側は急斜面です。その先に尾根筋を断ち切る堀切があります。
堀切の先には馬場跡と呼ばれる広い空間がありました。 尾根筋なので横に長く、南に傾斜した空間です。
斜めの地面で本当に馬場だったのか疑問ですが小沢城では最大の郭かと思います。
馬場跡のすぐ北側は、 山が削られて道と球場が造成された幻滅する光景が広がります。 ごく最近に開発されたようです。
奥に見えるジャイアンツ球場から試合のアナウンスが聞こえました。
球場へのアプローチ道路のようです。 皮肉にも開発のおかげで眺望は抜群に良好。
馬場跡には富士塚も残されています。
「富登山三十三度大願成就」 と書かれています。 実に頻繁に登っていたものです。
馬場跡の南端です。 辛うじて土塁跡らしき痕跡がありました。
馬場北側に天神坂と書かれた坂道がありました。 搦め手側かと思い降りてみる事にしました。
暫く天神坂を降りると山の中腹にこの 穴沢天神社がありました。 こじんまりしてますが散り際の桜と社がよくマッチしていました。
結構格式のある神社の様でして案内板によると
創立が孝安天皇の即位の4年後だそうです。 ・・・と言われてもさっぱり解らないので調べると、
つまりは有史以前から何らかの形で存続してきたようです。
他に、天神社なので菅原道真さんも祭られています。
鳥居から出て、川沿いを進みます
穴沢天神の真下から名水が湧き出していました。 この御神水は東京の名湧水にも選ばれたそうで、沢山の方が水を汲みにみえてました。
これだけの地下水があれば、小沢城の埋もれた井戸にもかつては豊富に水があったのでしょう。
その脇には岩肌をくり抜いた不思議な空間があります。岩の中からも水がしみ出しているようです。
穴沢の語源はここだそうでして、但しこの穴は2代目らしいです。
真新しい弁天様の後ろの岩肌に幾数かの窪みがありますね、 昔は何か祭られていたのでしょうか?
後半は城の紹介から脱線しました。 山頂の浅間神社から最後はほら穴の弁天様まで、今回は神様絡みが多くなりました。
個人的には小沢城の遺構が少し物足りない気持ちがありましたので穴沢天神と名水で満足に至りました。