藤橋城は、比高4メートル程の河岸段丘沿いに築かれた単郭式の城郭です。
北側は当時湿地帯であったと思しき広大な田んぼが広がり、南側は台地と地続きです。
↓の地図で解るように小さな城域ですが土塁や帯曲輪・櫓台跡などの遺構は比較的明瞭に残されています。
現地案内板によれば
『武蔵名勝図会』(1820)に、次のように記されている。 「平山越前守虎吉といふ人の住居の地なり。又、平井村・大久野村あたりは平山氏が旧跡なれば、この越前守もその一族なるべし。 以下略
当時、城主の平井氏が北条方と言う事は、付近の勝沼城で北条に反旗を翻した三木氏やその配下の今井氏
との関係はどうだったのでしょうか。
特に今井城は1キロ程の距離、まさに目と鼻の先です。
しかしながら今に残る土塁等の遺構には鋭さがなく緊張した最前線の面影はありません。
城南側の道路から土塁を映しました。 空堀が道路になったのでしょうか、ぱっと見は土手です。
↑の画像の南西の角と、北西の角の土塁に櫓台跡らしき方形の土盛りが残ります。
内側はごくごく普通、どこにでもあるような公園です。
近所の子供の遊び場になってまして、城と知ってか知らずか土塁を駆けまわってました。
土塁に沿って植え込みがあります。
城跡から臨む北側の田んぼです。 ここぐらいじゃないでしょうか、都内でまとまった田んぼがるのは
田植え後ならもっと気持ちよさそうな景色です。
車で行く方は目の前の畦道に停めた方が邪魔にならないかも知れません。
北側に周りました。 土塁の曲線が優美です。
と、言うことであっと言う間に見て廻れる小さな城跡でした。
が、今になってちょっと気付いたのが、城と道路を挟んで南側の弓形の狭い空間です。
公園入り口が当時の虎口だとすると、この弓形の空間が馬出しとか帯曲輪にも見えなくもないのですが・・・