今回は片倉城です。 又しても歴史的由来未詳の城跡に行ってきました。
にある比高20メーター程の舌状台地を利用して築かれています。
大変かいつまんで城の経緯を説明すると伝承の域として「新編武蔵風土記稿」によれば大江師親が応永年間(15世紀初頭)に築いたとあるが実際は在地の長井氏によって築かれたと推測される。記録はぱったりと途絶えるが、その後の北条氏の伸長に伴い相模国と武蔵方面への中継ぎの城として利用されたと考えられる。
北条家、有力支城間を結ぶ街道筋に設置された中継点、物流倉庫的な存在だったのでしょうか
戦史に顕れないんですから激しい戦闘もきっとなかったんでしょうね
城域は片倉城跡公園として整備されてます。
車派の人は片倉駅前の100円パーキングを勧めます。
案内板が悲惨な有様に・・・この縄張り図の上が南になります。城左手に縦貫する道が16号です。
縄張りは、台地を利用して本郭・2の丸が並ぶ連郭式で、南北と東側に帯曲輪を配し、台地と地続きの西側は
空堀によって遮断されてます。
公園入り口は左下です。入口から公園北側には湧水を利用した池があります。
北側から一気に登ります。
本郭の北側の帯曲輪には住吉神社があります。 縄張り図の黒くいたずらされた所です。
帯曲輪から本郭へ進みます。 前方の虎口の左手には櫓台跡があります。
先ほどの虎口から見下ろした所。 土塁などの遺構はそれほど明瞭ではないのですが 元々の地形が以外と
急峻で西からの攻撃以外には高い防御力を発揮したと思えます。
本郭です。 まぁ 広くはないです。
型の折れも確認できます。
こちらはお隣の2の丸です。 とにかく広いです、野球が出来ます。
ここがかつての物資集積所だったのでしょうか。 長井氏の居館時代には不要な広さにも思えますが・・
城の西端の空堀です。深さは現状で3メートル位、幅は20メートル?位で舌状台地を切断してます。
右手は城外の畑です。 この畑もかつては城の一部で、外郭にあたる3の丸があったとかなかったとか。
痕跡でもないかと畑を歩いてみました。
別の公園まで歩いてきました。遠くの雑木林が片倉城です。 結局、痕跡らしき遺構はなかったです。
城の北側です。水が湧いているようです、水源も完備とは・・
その水源を利用した池です。かつての水堀と思えます。
訪城ついでに立ち寄ると大変便利です。
それだけ当時も中継地としては優れた立地だったとも思えます。