黒川金山跡
訪問 2018年 5月
駐車場 無し
案内板 無し
密かにブログ再開です。
今回はお城ネタはお休み、趣向を変えて中世金鉱山跡の紹介です。
甲斐武田氏によって盛んに採掘された金山の中でも最大の鉱山の一つで、人里離れた山間部に立地しながらも往時は「黒川千軒」などと呼ばれ繁栄していたそうです。
黒川金山 石積み遺構
このルートは山間部を抜けてはいるものの古くから開けている地域。
この奥多摩街道は国道とはいえ2000m級の山並みの中を抜ける険しい山岳ルート、たとえ中央道が「小仏峠を先頭に渋滞30キロ」であっても此方にエスケープする車両はあまり見かけないですね、これは道の険しさもありますが知名度の低さも一因でしょう。
より興味のあるマニアックな方には奈良文化財研究所HPの全国遺跡報告総覧に良好な資料が格納されています。
1997年に旧塩山市(現甲州市の一部)教育委員会が作成した刊行物
「甲斐黒川金山」がPDF形式で閲覧可能です。
場所は以下のURLを参照して下さい。
この周辺、商店どころか人家ほぼないですよ。
日曜日は丹波山村のGSが閉まっているので燃料残量にも注意が必要という僻地。
こちらは国土地理院地図に今回の徒歩ルートを加筆したもの。
途中分岐が2か所あります。
都内方面からは丹波山村の集落を過ぎてトンネル2つ通過した先にあります。
分岐の様子。本線奥が記念碑。
折角なので記念碑を見てから黒川金山にお邪魔することにします。
駐車場も用意されているので便利。
これが記念碑。
碑の説明です。
山梨県内なのに東京都水道局という所がポイントですかね。
大切な水源林という事を少し判った所で鶏冠山への登山道へ向かいます。
丹波山川を渡ると林道は通行止めになります。
車はこの通行止め看板周辺に停められます。
右手にある旧林道(現在は登山道)を進みます。
ここで熊除けの鈴を装着します。
崩落が激しい林道ですが 歩く分には特に問題なし。
林道入口から30分程で沢を渡ります。
林道の古い橋脚が残ります。
沢沿いを登ること10分程度で右へ折れ稜線に向かう九十九折れ道に進みます。
九十九折の道は踏み跡が薄いのと、沢沿いに道が続いているように見えるのでここ、注意が必要です。
30分程クネクネと山肌を登り標高を稼ぐと、分岐が現れます。この間の登りはキツイので写真を撮る余裕はなし。
そしてこの分岐は左に折れます。
分岐点にあった通行止めの案内。 今回のルートではないですが。
既に高度は稼いであるので残りのルートは等高線に沿った高低差の少ない山道になります。 が足元が余り宜しくない。
樹林帯の中なので青空はたまにしか拝めません。
更に30分程進みますと3本の沢の合流地点に到達。
石を伝って沢を渡る仕様みたいです。 増水したら先には進めないでしょうね。
一番奥の沢に沿って進みます。
対岸に石積らしきものが・・
近寄るとやはり古い石積み遺構です。 苔の生え方がいいですね。
いつ頃 積まれたものでしょうかね。
実はこの黒川金山、武田氏の専売ではなく江戸時代にも採掘は続けられており最終的な閉山は明治期になります。
従って、保存状態の良い遺構は年代が比較的若い可能性があります。
沢の右側から更に奥へ向かいます。
環境は大自然そのものですが周囲の地形は明らかに人為的な改変を受けた形跡が現れ始めます。
この辺りから既に黒川金山の中に入っているようです。
人為的な地形というのはこのような感じですね、登山道沿いにひな壇状の平坦地が幾重にも続いています。
城ばかり見ていると小郭群と言いたくなりますが・・・
加筆するとこんな感じですかね。 散乱する苔のむした石も人為的に敷き詰められたように思えます。
奥に進むと 明瞭に残る石積み遺構と平坦地が現れました。
この辺りちょっと開けてます。
大きな建物でもあったかのように思えます。 そしてここに黒川金山の標識が建っています。
黒川金山跡2 に続きます。