塩田城
訪問 2017年 7月
駐車場 有
案内板 有(縄張り図無し)
ちょっとばかり間が空きましたが上田市の城郭紹介の続きと参ります。
早速ですが、今回の塩田城はかなり個性的な縄張りを持っています。
独鈷山北麓の尾根に挟まれた狭い扇状地形を利用して築かれた地形的な要因によって、ひな壇状の郭が山頂に向かって幾重にも幾重にも続くという構造で、一見すると段々畑の耕作放棄地にも見えなくもない特徴を備えています。

塩田城の現地案内板の内容になります。
長野県史跡 塩田城跡
塩田城は、鎌倉時代中期(建治3年・1277)鎌倉幕府の要職であった北条義政がこの地に移り、館を構えた事から始まる。
義政の子国時、その子俊時と3代に渡り約60年、塩田氏と称し、信濃の一大勢力としてこの地方を統治し、また幕府内でも活躍した。
鎌倉幕府滅亡後は、坂城の村上氏の領有する所となり、重臣福沢氏をここに置いて統治させたが、天文22年(1553)甲斐の武田信玄に攻められ落城した。
信玄は塩田城の戦略上の重要性に着目し、自らも時々ここに滞在して東信濃の拠点の一つとした。
天正10年(1582)武田氏の滅亡後は、真田昌幸が支配することとなるが、上田城築城後は廃城となった。
昭和50年から実施された塩田城の発掘調査の結果、貴重な遺構、遺物が発見された。
それらの成果に基づく研究によれば、北条氏時代の館は東前山の集落の入り口(小字竹の内)辺りにあったらしく、村上・武田氏の時代になって山腹から頂上にかけて城が築かれたものと推定される。
指定地域からその周辺にかけて東西200m、南北700mに及ぶ築城の跡が明らかになり、県内最大級の中世城館跡として知られる。
場所は以下のURLを参照して下さい。
入口が少し判り難いので詳しく説明します。

きのこ村深山が目印になるかと。

扇状地の中腹なので麓に向かって緩い下り坂になっています。
山城ですが、ここまで近くに駐車場があると夏場の訪城も容易というもの。

所でこの塩田城は、世間一般にはガクアジサイで有名らしくこの日も紫陽花見学の方で車が10台以上停めてありました。
いやぁーマニアックな山城でこんなに人が多いのも妙だなと思ったんですよね。

紫陽花のあるのは石碑付近の郭に限定されますので奥の方は静かなもんです。



一面にガクアジサイが植えられています。







更に奥に進む途中に転がる石、これも石積みの跡ですかね。






最近ホントにこういうのが好きになってきました。

ここからは登れてないので先ほどの分岐点に戻る事にします。

実に見事な石積みなのですが・・ちょっと綺麗に残り過ぎているので後世の物かもしれないですね。

ここの石積みは当時の物でしょう。





別にキノコ刈りが目的ではないので入ってもいいのかとも思いましたが、今回はここで撤収です。
山城巡りは地主さんの好意に甘えている部分も多い訳ですからね。
塩田城の評価は 3 とさせて下さい。
かいつまんだ紹介ですが実際は段々郭がひたすら続きます。塩田城がかなりの兵員数の駐屯を想定して造られていた様子がうかがえます。
その為か、段々団地のような構造で散策している内に若干飽きてきてしまいまして・・その分評価は低めです。
もっとも今回は見てませんが、城の両稜線沿いも城郭遺構があるらしいので、そちらも見る機会があれば評価はまた変わるかも知れません。
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