訪問 2015年 8月
駐車場 有
案内板 有(駐車場前)
ではでは、静岡編の続きと参ります。
今回は山深い小長谷城から一転して海岸に移動します。
北条水軍の拠点として、この湾に岬状に突き出す小丘陵を利用して長浜城は築かれています。
長浜城主廓から見る内浦湾
場所は以下のURLを参照して下さい。
湾岸沿いを走る県道17号は長浜城の脇を掠めています。
釣り堀の看板が目立ちますが、脇にちゃんと長浜城見学者用の駐車場と書いてあります。
非常に詳細に描かれている現地掲載の縄張り図。
尾根沿いに各廓が展開しています、それを各所の堀切で分断する比較的オーソドックスな縄張り形式でしょうか。
図左手が北で、図右上が駐車場付近。
このようなジオラマまで用意されています。
山城が半分だけ海にせり出したような造り? ですかね。
では長浜城の歴史を現地案内板より掲載します
長浜城のはじまりと終わり
長浜城が城として使われたのは、戦国時代の終わりの天正7年(1579)~天正18年(1590)頃と考えられています。
天正7年の記録では、城の建設に関する内容が書かれており、また、北条水軍の責任者が長浜に配置されています。
一方、天正18年の記録からは、最終的にこの地の土豪(有力者)が、部将として城に立て籠り、敵に備えていたことがわかっています。
しかし、豊臣秀吉の攻撃によって、三島市にある山中城が落城するなど、その影響で長浜城も廃城になったと考えられます。
ま、とりあえず 城の内部を散策します。
この階段、本来は廓3にある神社への参拝道でしょうか、城の構造とは無関係に思えました。
廓4と廓3に間に当りをめざして階段を登ります・・
この時、季節は真夏、時間は昼過ぎで日中の気温が最も高くなる時間帯、ばかみたいに暑かったですねぇ~、はっきり言って城巡りをするタイミングではないのですが・・
登った所で3廓 4廓を隔てる堀切に遭遇。
風があるのがせめてもの救いと言う事で・・城散策続行。
4廓から 3廓方面を撮影。 画像中央に先の堀切が存在しています。
3廓脇を抜けて 2廓3廓間の堀切を目指します。
堀切を挟んで左手が2廓 右手が3廓
この虎口についての解説板がありましたが内容は忘れてしまいましたので省略します。
3廓内部の土塁上から3廓を撮影。
海と反対側にのみに分厚い土塁が巡らしてあります。
画像左手奥に見える案内板は2廓の物。
2廓側から堀切を挟んで3廓を撮影。 4~3~2廓と比高差があります。
振り返って2廓内部を撮影。
掘立式建築物の柱穴を再現しています。
ここも土塁線は海と反対側が厳重に構築されています。
こちらは1廓2廓間の堀切の再現。岩盤をくり抜いて堀切ってます。
1廓内部の様子。 こちらでも掘立柱式の建物があったようです。
眺めが最高によろしい所でもあります。
岬状に伸びる廓ABCDをまとめて上から撮影。
長浜城脇にヨットが多数停泊しております、かつての北条水軍の軍船もこのように停泊していたんでしょうかね。
当時の水軍等の解説も充実しているので降りて見られる事をお勧めします。
それにしても波を切り裂くとは程遠いずんぐりむっくりしたフォルム。安宅船には速度は求めていたなかったんでしょうか。
長浜城の評価は 3 とさせて下さい。
ここの最大のポイントは内浦湾のにならず駿河湾まで一望できる眺めの良さでしょうか。 空が霞んでいなければ富士山もばっちり見られた筈ですし。
肝心の城自体は結構オーソドックスな構造です。
近年整備されて、各所に解説板が設置され訪城者には大変親切な整備がなされていますが、マニアック目線で言えば少々整備しすぎ・・勝手なもんですがそんな印象です。