さて 日尾城1の続きと参ります。
と言っても今回はお城の紹介は無し
麓にある秩父札所31番 観音院の紹介です。
正式には 鷲窟山 観音院
といい秩父地域34か所に点在する札所の一つになります。
この仁王像は石仏としては日本一の大きさを誇るそうです。
仁王門をくぐりましたら般若心経 を唱えながら石段を登りましょう。
石段は結構キツめで、日尾城への道のりの方が楽に思えます。
ちょっと紫陽花を愛でて
途中にある西奥の院方面の分岐。
こちらは残念な事に通行止め。
その分岐にある案内図。
更に登りますと、なにやら岩壁が見えてきます。
こちらが「御本堂」
背後の岸壁に圧倒される感じですね。
見上げるとこんな感じで、岩のオーバーハングが少し怖いくらい。
御本堂脇にある滝つぼ。
これが聖浄の滝なんでしょうね。
滝の脇にある「磨崖仏」 の案内。
岩肌に掘られた仏像だそうで
屋根を掛けて風雪から保護されてます。
近寄って見ると
岩肌に掘られた夥しい数の仏像が見えてきます。
立像・座像様々あります。
風化が著しいようで判然としない像も多いですね、長い歴史を感じます。
参拝される方はくれぐれも手を触れないようにお願いしますね。
磨崖仏を引きのアングルで一枚。
さて、折角なので「東奥の院」まで足を延ばしてみます。
振り返ってもう一枚撮影。
磨崖仏上の岩棚にも何かあるようです。
1キロは遠いでしょ、幾ら探しても判りませんでした・・・
東奥の院の石仏群に到着。
ここも岩窟っといった歴史を感じさせるムードが漂っています。
石仏群の中には「畠山重忠」公が馬を繋いだと伝わる蹄の跡があります。
馬の蹄ぐらいで岩に跡なんか付かないでしょ・・という無粋な事は言わないでおきましょう。
きっと愛馬は黒王号なんですよ・・
おまけです。
こちらがその「畠山重忠」公の像。 埼玉県嵐山町の菅谷城跡にあります。
日尾城の評価は 3 とさせて下さい。
日尾城ですが、だれそれの居城というよりも峠の切り通しを警備する目的で築かれた城と考えていいのではないでしょうか。
峠を含む稜線を城域化し、近くのピークと付近の斜面を均して郭として小部隊が駐屯していた・・そんな妄想が膨らみます。
技巧的な縄張りが・・というよりもダイナミックな岩盤切り通しや麓の観音院により強い魅力を感じました。
今は、車道の終点にある観音院一帯ですが、往時は峠に城郭を築く程の交通の要所であったのかも知れません。