ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

祇園城 (栃木県 小山市) 1

 
訪問 2015年 2月
 
駐車場  有(城山公園北側)
案内板  有(南側入り口)
 
 
こちらは相変わらずの気まぐれ更新でして、ほぼ1カ月ぶりのアップとなります。
 猛暑のさなかにも関わらず訪城は続けていましたがブログアップをする気力が何となく湧かなくてですね、サボってました・・
 さて、中途半端になっていた栃木編をこの祇園城で一旦〆たいと思います。
 
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                     祇園城(城山公園石碑)
 
現地案内板から 祇園城の紹介を抜粋します
祇園城 跡

 平安時代藤原秀郷が築いたという伝承もありますが、正確な築城年代は不明で、記録に見えるのは14世紀後半の頃からです。
 
 この城を築いた時、城守りの神として祇園社(現在の須賀神社)を祀ったことから、祇園城と呼ばれるようになったと伝えられています。
 
 西に思川を控えた丘陵を利用して築かれ、築城された頃は現在の城山公園程度の規模と思われ、小山氏の本拠となったのは15世紀になってからの事でしょう。
 
 戦国の動乱に際して、小山氏は越後の上杉氏や小田原の北条氏といった有力な戦国大名に攻略され、天正3年(1575)北条氏照によって祇園城は陥落、小山秀綱は追放されました。
 
 その後氏照が大規模に拡張・整備を行ったと思われます。
 
 やがて北条氏も滅亡し、江戸幕府成立後本多正純が3万石で城主となり、最終的な縄張りを完成させ、東西約400m、南北700mに及ぶ城郭となりました。
 
 この正純も元和5年(1619)宇都宮へ転封となり、祇園城は廃城となりました。
 
 

 

 

場所はこの辺りです。
 小山市役所に隣接する市街地内部に立地する為、城山公園として整備された以外は開発に吞まれてしまっています。
 平坦な地形が続く地域ですが、祇園城主郭部は思川の自然堤防?と思しき微高地を利用して築かれているように思えました。
 
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県道沿いが城山公園の正面のようですので こちらから祇園城にお邪魔します。
 市街地より一段高いのが判りますか?
 
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 入口に縄張り図がありましたので掲載します。
 
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同じ場所にある 公園駐車場の案内。
 でも この場所には車は停められないのでここに案内出されてもドライバーは判らないですよ・・
 城の北側 縄張り図でいう公孫樹のある郭の右上の「郭」が駐車場として整備されています。
 
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本廓部にお邪魔しますが、ひとまずこの辺りは普通の公園の様。
 
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思川に沿った辺りに土塁の跡が残されていました。
少し城郭らしさが出てきました。
 
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土塁からの眺めが良いので一枚撮影。
 
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公孫樹のある郭とは隔てる空堀前には立派な土塁が続いています。
 
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空堀に架かる橋を渡ります。
 橋の向こう側は「馬出し」
 
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橋から足元の堀底を撮影。
 旧結城道と書かれているので往時の姿ではないと思われますが、それにしても深い。
 
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祇園城と言えば このアングルですかね?
 堀底に降りて 同じように撮影しました。
 
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戻って 馬出しの空堀を撮影。
 馬出しの規模が大きくてアングルに納まりきれないので、堀の画像を掲載します。
 角ばった馬出しなので 北条時代の改修で造られたんでしょうか?
 
 
 祇園城2に続きます。