近々慌ただしく気づけば前回のアップから大分御無沙汰してました。
今回は先日御一緒させて頂いた 「黒備え馬賊」 さんとの共同訪城第二弾の報告になります。
城がある山に砦という単語がくっ付いた、同じ意味が重なっただけの没個性な名前ですが それだけに
ここの城が詳細不明ということなのでしょう。
崖下の住宅地から見上げた柏原城 搦め手方向
狭山市HPを参考に城の経緯立地を解説
この 「柏原城・城山砦」 は1545年に(山内)上杉憲政が 北条方の河越城を攻略する際に築かれた陣城
とされる為 別名 「上杉砦」 とも呼ばれます。
只 鎌倉時代の畠山重忠に従った柏原太郎の居館跡との異説もあり、 明確な経緯は明らかではないようです。城の立地は、 東に流れる入間側に沿って南北に続く河岸段丘際が 「く」 の字に突き出した箇所に築かれており、 前は台地続きで後ろは崖際の所謂 「崖端城」 と言われる形態をとってます。面積は7000㎡あまり 本郭と周囲を巡る土塁と空堀、 馬出し状の小郭の2の郭、 南側崖沿いに広がる3の郭からなります。
現地案内板に加筆
縮尺を見て解るように城域は陣城と推定されるだけに大変コンパクトです。
城南端の3の郭付近から城北面を撮影
搦め手側崖下は住宅地でしたが こちら大手側は畑地が城址と隣接しており比高差もありません。
段丘が発達してる関東平野では最もスタンダードな城の立地と言えるかも知れません。
振り返って撮影
浅くなった空堀を挟んで2の郭跡にある稲荷神社が目に入ります。
社の辺りは明らかな土盛りの痕跡です。
お稲荷さんを正面から撮影。 石造りで何とも言えない重厚さです。
幟旗に正一位って・・お稲荷さんの官位をどこかで聞いた事あります。
関東管領さえ足元に及ばない高貴さですね。
3の郭から2の郭方面を撮影。 ここは遺構がはっきりしません。
2の郭から崖下を撮影。 比高こそ10数メートル程度でしょうが案外と勾配がありよじ登るのはほぼ不可能と
思われました。
2の郭から 本郭の坂虎口を撮影。
本丸土塁は幅高さ共に3メートル近くあります。 急造陣城と言われる割にはしっかり造り込んでます。
本郭内部
広さは 城の規模なりの狭さですが 特筆すべきは周囲を巡る土塁の高さでしょうか。
3メートル近くある土塁がグルリと囲みます。
土塁上から空堀を撮影
幅10メートル弱 深さ4メートル程でしょうか。 小さな城域にここまで見事な堀が残るとは予想外の収穫でした。
杉が邪魔して解りにくいですが堀には出隅入隅を設けて故意に屈曲させています。