ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

磯部城 (群馬県 安中市)

磯部城
 
訪問 2015年 1月
 
駐車場    有
現地案内板  有(駐車場)
 
またしても久しぶりの更新ですが気にせず群馬編の続きに参りたいと思います。
 結論から述べますが今回紹介の磯部城は結構お勧めの城郭遺構ですね。
 何が良いのか
 
 車で乗り付けられる訪問の楽さ
 コンパクトな城域ですぐ見て回れるので立ち寄りにもってこい
 中核部の整備状況の良さ(本廓を除く)
 これらを踏まえて更に縄張りもまたこれが良い・・
  つまりお手軽に山城訪問できるのです。
 
イメージ 1
                   笹に覆われた磯部城本廓
 

 

 

 

 磯部城の歴史を現地案内板文より転載します。
磯部城址
 歴史
この磯部城は、正治3年(1201)4月の頃に、佐々木盛綱入道西倉の旧跡と伝えられているが、城址を見れば、鎌倉初期のものでないことは明らかで、恐らく武田信玄が永禄5年(1562)頃築いたもので、東500mにある文殊寺の砦は狼煙台跡であろう。
 
 構造
磯部城址は標高250mの山城で完全な遺構を残している。
 頂上には本丸・二の丸が西東に並び三の丸はその南面にある。
 本丸と二の丸は堀切で区別され、土橋で連絡されている。
 その堀切りの余土は西側に盛られて高さ2mの高土居になっているので、西の廓が本丸と考えられる。
 磯部城の正確な由来は不明のようですね。 まぁ逆に変な先入観なく城の構造を見て回れるので個人的には一向に構わないのですが・・
 
イメージ 2
 現地縄張り図を掲載します
 南側の現地という地点に駐車場とこの縄張り図があります。
 
イメージ 3
では早速城内部にはお邪魔しましょう。
 城南側に「城山公園入り口」の看板あり。 ここから入ります。
 
イメージ 4
案内に従うとほどなく駐車スペースに辿り着きます。
 トイレ・縄張り図付の素晴らしい設備環境。
 
この駐車場は地形的には城のある丘?の縁ですかね。
 ここから見上げる城との比高差は大したことありません。
 
 少し話が脱線します、案内図には山城と記載されていますが厳密に言えば少し違います。
 この磯部城の立地は、北側に流れる磯辺側に沿って延びる段丘面に残る丘を利用して築かれています。
 その為、
 
イメージ 5
 段丘下段にあたる城北側からはかなりの比高差があり、与える印象が大きく異なります。 
  
イメージ 6
では内部散策に参ります。
 これは馬出し付近空堀跡。 
 3の丸は未整備の藪々状態の為省略します。
 
イメージ 7
途中省略したので あっと言う間に2の丸に到着です。
 奥に見えるのが本丸とを仕切る高土居。
 
イメージ 8
2の丸横にある櫓台と書かれた土塁に登り2の丸方面を撮影。
 削平地はそんなに広くありません。 
 
イメージ 9
櫓台土塁脇の空堀が実に見事。
 
イメージ 10
縄張り図でいうと二ノ丸の右手にある帯廓付近の様子です。
 キャンプ施設として利用されている模様ですがここの土塁も中々見事ですよ。
 
イメージ 11
さて いよいよ本丸に行きます。
 ここが2の丸と本丸を仕切る高土居(笹藪)と手前の空堀です。
 空堀はかなり埋没が進み現在は痕跡を偲ぶばかりになっていますね。
 
イメージ 12
冒頭の画像でも紹介しましたが本丸内部は一面の笹、とにかく笹、徹底的に笹づくしの世界で遺構を探す余地はありません。 辛うじて残るのは祠への参道のみ。
 
イメージ 13
本丸の先端部(縄張り図左側)は断崖絶壁で人を寄せ付けません。
 確かにここだけ見れば完全に山城ですね。
 
イメージ 14
アングルを変えると足元に信越化学の工場が広がります。 お城と工場という妙な組み合わせ。
 
イメージ 15
絶壁ではない面は、斜面に腰廓を巡らしてあります。 実に用意周到。
 
イメージ 16
おまけです。
 

磯部城の評価は 3  とさせて下さい。
 
 総評的なコメントは冒頭に書きましたのでここでは述べませんが、個人的にはかなりお気に入り度が高い城郭遺構に入ります。
 開発などによる破壊から逃れてその遺構が後世まで残されている点も高評価でしょうか。