ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

要害山城・深草観音・熊城(山梨県 甲府市)1

要害山城
 
訪問 2017年2月
 
駐車場 無し(露駐可)
案内板 有
 
 今回は長いタイトルになっていますが、分けずに一緒にしたのは3か所を一度に歩き回った為。
 
要害山城はご存知の方も多いと思いますが、武田氏の平時の躑躅ヶ崎館の北方にある非常時に使用する詰め城です。
 
 熊城は要害山城と隣接する尾根を利用して築かれた史書には記載されない詳細不明な山城。 深草観音は要害山城からハイキングコースを利用して参拝できる岩窟寺院。本筋とは外れますがこれがまたいい味を出しているので、同時に載せる事にしました。
 
今回は要害山城の紹介で、次回深草観音そして最後に熊城を掲載しようと思います。
 
イメージ 1
   要害山城 石積み遺構と堀切
 
場所は以下のURLから参照して下さい。
 
 
 

 
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今回歩いたコースの紹介です。
 
 県道31号沿いにある「積翠寺温泉要害」の脇からスタート。
尾根沿いに展開する要害山城の郭群をみて本郭に至り、そのまま尾根道を更に辿り山道の分岐点を右折。
 道なりに進み、熊城のある支尾根の確認をして、深草観音に参拝。
 来た道を引き返し、熊城のある尾根筋を下り麓の集落まで戻る というコース。
 
全体で約5時間弱かかっております。 うーんかなり疲れましたよ。
 緑の矢印は加筆したものです、マップに記載されている所要時間は大体正確、というよりものんびり歩くと更に時間がかかりそうですね。
 
 
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 元の図はこれです。分岐点にあります。 
 
 
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 ハイキングコース入口にある鳥瞰図です・・・なぜか画像が横倒しのままなんですがどうしても直りませんのでこのまま載せますね、頭を横にしてご覧下さい・・
  隣の尾根にちゃんと熊城も描かれています。
 
 
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 縄張り図も載せます。 甲信越の名城を歩く山梨編から借用。
図左端から登り中央付近の広い主郭を目指します。
 
 
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 城への登り口の様子です。 先の横倒し鳥瞰図や史跡の掲示がなされています。
 場所は「積翠寺温泉要害」の脇・・ですがHPを見ると今年の1月で廃館になっていたようです。
 車の停める所ですが、ここの県道が拡幅されてまして、脇に登山者が停められる路肩があるのでそこに停めるのがいいと思います。
 昔は酷い荒れ道だったのに随分整備されてきました。
 
 
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登り始めると早速石積み遺構が多数現れます。
 尾根上の郭群とは離れているのですがこれも城郭遺構ですかね、周囲の植林地にも小郭状の平坦地が幾つもありますし。
 
 
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暫くは普通の山登りでしたが、やがて石積みを伴う虎口が現れます。 
 この虎口の奥は枡型を成しております。
 
 
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 虎口の土塁面にも崩落した石積みがゴロゴロと
 
 
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 枡形まで進んで振り返って撮影。
険しい山城でここまで大規模な枡形を造り込むのに驚き。
 
 
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枡形を過ぎると一旦道は右に折れて ここ不動郭に至ります。
 
 
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由来はお不動様が祭られているからとか。
ちゃんと軍配を持っていますね。
 
 
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 睨みを効かせる先は甲府盆地が一望できるポイント。
 
 
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 尾根から一段下った腰郭に残される井戸跡。
道はあるのですがちょっと判り難い所にあります。
 
 
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 振り返って撮影。土塁を伴った腰郭で城の横腹の防禦を高めています。
 ちょっと後で掲載予定の熊城の事を触れますが、あちらでは山の斜面は竪堀をザクザク刻み込んで処理しているんですね、お隣同士の城にも関わらず設計思想に違いを感じます。
 
 
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そして大手と伝わる虎口に築かれた石積跡。
 法面の保護というよりもバリケードしての役割を重視したような圧倒的な威圧感。
 
 
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 その後、幾段かの坂虎口が繰り返します。
 
 
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 藪に埋没して目立ちませんが、ちょっと探すと石積みの遺構が残ります。
今でこそ土の城の趣きですが、当時は石積みが特徴の山城じゃないでしょうかね。
 
 
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 主郭の虎口跡です。
 画像奥が主郭になります。
 
 
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 ここも石積みで固められていた形跡が残ります。
 
 
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主郭内部の様子。
 山城でありながら極めて広大な平坦地を確保しています。ちょっとした館なら十分建てられる広さですかね、この辺りが実践本意の山城とは一線を画する所でしょうか。
主郭周囲は石積みを伴った土塁で防禦されています。
 
 
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主郭に建つ 「武田信玄公誕生之地」の石碑。 東郷平八郎の字のようですね。

 出産できる位の整った建物があったという事でしょうね、それにしてもどうやって妊婦さんがここまで登ってきたのか?
 
 
 
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要害山城主郭に建つ標識。 
 この後、深草観音に向かいましたが時間は実測で50分程度。
 
 
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 主郭裏側の虎口を抜けて城後方の尾根筋の郭群と見る事にします。やはりここにも石積みが残されています。
この主郭を後方から守る造作は個人的には必見だと思います。単なる裏口じゃないですね、非常にしっかりと守られています。
 
 
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虎口の先は土橋を一本渡した堀切が守ります。 土橋で連絡線を残してあるのが要害山城の特徴ですかね。
 
 
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 堀切にまで石積みが施されている丁寧な施工、これはかなり珍しいのでないですか?
 山城といえど恒久的に使うのが前提なら、このような措置も必要だったのでしょうかね。土のままよりも一旦積み上げてしまえばその後のメンテナンス管理は少なく済むでしょうし。
 
 
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 土橋を渡り切り振り返って撮影。
 堀切の先には土塁が立ちはだかっております。
 
 
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 その後も土橋付きの堀切は幾筋も続きます。 敵の侵攻は遮断したいが土橋は残す・・この意味はなんでしょうかね。
 
 
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 堀切を別のアングルから撮影。 尾根を深くえぐるように極めて大がかりな造作工事が施されています。
 
 
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 更に「門跡」が続きます。 かなり厳重な守りですね。
 
 
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 更に続く見事な石積み遺構、これも要害山城の遺構でいいと思いますが・・
 
 
この辺りで要害山城は終わりですが、尾根道は続くのでこのまま進む事にして深草観音訪問に向かいました。
 

要害山城の評価は 4 とさせて下さい。
 
険しい山城ですが、躑躅ヶ崎館まで訪れる機会があれば是非ここまで足を延ばして頂きたい城郭遺構ですね。
 麓から主郭までは大規模に造作された徹底的な虎口群によって堅固に守られており、一転して主郭裏側は土橋を残した堀切を幾筋も渡してあります。
 どれも石積みを伴い、堀なども鋭い角度を保っています。
 山城と言っても国境の砦のような城跡とは違い実に丁寧に造られた様子がうかがえます。
 
 
深草観音に続きます。