昨年の訪城顛末の報告第二弾です。 とは言えこれでネタ切れですが・・・
小田原城と云っても色々見所がありますよね、賑やかな天守周辺から戦国末期の惣構まであちこちに史跡が点在しますが、 今回時間の関係で見られたのはここ 「小峯堀切」 だけ、 後は又機会があればいづれ巡りたいとは思いますが・・・
小峯堀切堀底より撮影
この堀切りは、箱根の山並みから小田原城中核部へ伸びる尾根筋を外延部で断ち切る位置関係になります。
ここが尾根筋を抑える要所に当たるからでしょう、ここは3重にもわたる堀切りの厳重な構えとなってます。
以前、黒備え馬賊さんにここの遺構の素晴しさをお聞きしていたので非常に楽しみな訪城でもありました。
現地案内板の文言を転載します
小峯御鐘ノ台大堀切東堀
小峯御鐘ノ台大堀切は最も慰霊塔側にある東堀、 現在、道路となっている中堀、 そして、 その西側にある西堀の3本の堀切り全体の名称です。
この堀切りは本丸へと続く八幡山丘陵の尾根を分断し、 敵の攻撃を防禦するために北条時代末期に構築されたもので、 小田原城の西側を防禦する最も重要な場所であったと考えられます。
東堀は幅が約20~30メートル、 深さは土塁の頂上から約12メートルあり、 堀の法面は50度という急な勾配で、 空堀としては全国的にも最大規模のものと言えます。
発掘調査によれば、 堀には障子堀や土橋状の堀り残し部分の他、 横矢折れと言われるクランク部分などの施設が設けられていることが確認されました。
こうした堀の構造は北条氏にうよって好んで用いられた戦国時代の城郭構造の特色を良く表しています。
では早速画像を、 まず遺構東側(城内)から進みます。
これは堀切りの手前にある土塁遺構になります。 高さは2メートル強位、一直線に尾根を垂直に延びてます。
現地掲載の縄張り図です。 現在位置は図の右端にあたる城山公園になります。 現地案内に登場する慰霊塔とはこの城山公園にあります。
城外側は図の左手。 勾配は左手が上手、右側が下手になります。
先ほどの土塁の虎口。 ここから堀底に降ります。
画像だと伝わりにくいのですが・・・圧倒的な規模なんです。 凄まじい執念を感じます。
下に降りて撮影。 400年を経ても未だに斜面は急勾配。 とても登れたものじゃありません。 深いしこれはもう谷底です。
一直線に延びた堀にも折れがありました。 縄張り図の横矢折れの箇所です。
とは言え、 東空堀の折れはここだけのようです。 全体的には直線的な印象、ただ堀の掘り方が尋常ではないです。
堀底を進むと急に視界が開けました。
眺望抜群で相模湾が一望に見られます。
ここからなら、小田原城と包囲した豊臣方の布陣と石垣山の築城の様子も丸見えだった筈です。
再び堀底を戻ります。 左手に 東堀から中堀に続く底の浅い堀が分岐してますのでこちらに進みます。
そして その堀底です。
そしてこちらが 西堀です。 現在私有地で入れません。 それに説明板にあるように 大半が埋まって 堀跡は何となく解る程度でした。
西堀案内板脇にある御鐘ノ台の碑です。 え~鐘ノ台の所以が書いてありましたが、内容は忘れました。 確か鐘があったんですね・・確か。
おまけです。
堀切り周辺は日当たりが良いからかミカン栽培が盛んな様子でした。
この栽培地内に西堀の遺構が残ってそうな怪しい斜面らしきも様子があったのですが・・・
勝手に入る訳にもいかないですし。
今回の小田原城訪城は以上です。 凄い凄いと聞かされていた大堀切りですが、聞きしに勝る圧倒的な規模の堀切りでした。 うーむでもこれは画像では伝わらないでしょうね。