ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

腰越城 ① (埼玉県 比企郡小川町)

 
 今回は、この前掲載の 「中城」 から槻川を数キロ遡った所に位置する 「腰越城」 になります。
比高こそさほどではありませんが、 こちらは、 山の尾根筋を利用した山城の造りになってます。
 
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  帯廓より西廓を撮影
現地案内板によると
 
 槻川に3方を囲まれた、 天然の要害の地に築かれた戦国時代の山城です。
本郭からは、 東に小川筋、 西に安戸筋(東秩父村)を良く眺める事ができます。
 城跡には、「城山」  西側山麓に居館を示す 「根古屋」 、 南東側山麓には 城への入り口を思わせる
 「榎木戸」 などの地名が残る。

 腰越城は、 安戸を根拠地とする、 松山城主 「上田氏」 の家老として仕えてた山田伊賀守定の居城と
伝えられ、 安戸を守る重要な役割を果たした城郭とされる。
 
 

 
 
 地図で解るように、 川の屈曲点に伸びる1本尾根を利用した城郭です。
 
 尾根を堀切りによって遮断し、 内部の縄張りは、 本郭までのルートが 徹底的に迂回させられるのが印象的な城郭でした。
  尾根の先端部分は 後年の石灰石の採掘により破壊されており、 その辺りの縄張りは不明のようです。
 
 

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県道沿いにある腰越城入口の案内
 
 目印としては余りにも地味でほぼ見落とします。 
 
 
 無難なのは向かいにある
 「パトリア小川」 さんの駐車場。
車を入れると、そこから案内板が出てますので便利。
 
 ひと汗かいたら併設されてる日帰り入浴施設で さっぱりするのもよし。
 
 
 
 
 
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農家の軒下の道を抜けて
 山を目指します。
 
 
 
 
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 集落をを抜けると 碑と共に入口がありました。 こちら側が城の大手と考えられています。
ちなみに この付近の集落地名が 「榎戸」 です。
 
 
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 門を抜けると やたら湿っぽくジメジメした谷筋の道が続きます。
 
 
 
夏場は藪蚊の大軍でしょう。
 
 
 このまま尾根筋までは、 山登りが15分位続きます。
 
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 尾根筋に近づくと何か見えて来ました。
 現在位置は 下↓の縄張り図 上端部の青矢印です。
 北側に続く尾根筋を断ち切る 2重堀切り の外側に辿りつきました。 
 
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  現地の縄張り図です。
 2重堀切りの奥が いきなり本廓になります。 全体的には 縦堀が厳重に巡らしてあるのも解りますね。
 
 
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本郭側の土塁から 2重堀切りを撮影。
 堀切りに挟まれた小廓は 馬出しの役割を果たしていたのでしょうか。
画像奥が 城外の尾根筋。
 
 
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 先ほどの馬出し側から 本郭側を撮影。  上の方が本郭の平場になりますが・・・カメラに納まりきれず。
本郭は、 自然地形の頂上を利用したのでしょうが、 堀底からの比高差は相当な物です。
 城内部へは 左手の階段から 本廓に沿って奥に進む事になります。
 
 
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 本郭真下には、 先ほどの 2重堀切りと馬出しを俯瞰できる帯廓があります。
下の様子が良く見えます、 掩護射撃用でしょうね。
 
 
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本郭左手に回ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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本郭に沿って道を進みます。
 つまり 縄張り図の赤線のまま歩いてます。
 
 等高線からずらしたのか、 人為的に 地形をいじったのか
 道にはアップダウンがあったりします
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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  暫くすると現れる 2の廓へ登るルート。  勾配の険しい虎口です。
空堀に橋を渡して通路としてありますが 果たして当時もこの様な仕組みだったのでしょうか。
  
 
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 2の廓への虎口を登らず、 その下の帯廓へ降ります。
周囲には土塁を巡らせてあります。 この辺りも良く遺構が残ってます。
 
 
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縦堀が幾本も麓まで伸びています。  藪まみれで写真写りが悪い物ばかりですが、 実物はかなりはっきりとした痕跡です。
 
 ②に続きます