ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

青山城 (比企郡 小川町)

青山城 比企郡小川町
 訪問 2012年2月
 
 訪城から1年以上を経てようやくアップできました。 記憶が曖昧な箇所もあると思いますので、その点はご容赦を・・
 
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                                                   3廓~本郭堀切り
 中世城郭の宝庫? として知られる比企のお城の一つ青山城の訪城模様です。
  
  周辺に存在する同時代の小倉城や腰越城が、稜線末端部の比高のさほどない地点を利用して築かれたのに対し、 この青山城は、比高200m弱の低山の山頂を利用して築かれた山城です。
 
 麓の集落から登山道を20分程登ると城の築かれた稜線に出られますが、
 尾根に出るまで結構な急こう配で、真冬の訪城にも関わらず汗をじんわりかいたのを覚えています。
 
 

 
  場所は 上の地図の辺りです。 登山道までがそれなりに解りにくいので、案内から
 
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道30号から行った場合です。 
 奥の道が県道30号、右手が小川町市街地方面になります。
  この信号のない三叉路を折れて下さい。 写真は曲がってから振り返って撮影。
 ここが目印もなんにも無しです。
 
 
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同地点 進行方向に振り返り撮影。
 城へは踏切を渡って 左折です。
 
 
イメージ 13車で1分程で 青山城の登り口に至ります。
 
 車は路肩に停めさせて貰いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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登山口から15分ほど登ると
 稜線の尾根道とぶつかります。
 
左に行くと見晴らしの丘公園
 方面
 
右手に行くと 青山城
 
 
 
 
 
 
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 尾根道を少し行くと
青山城の標識が
あります。
 
 標識の辺りで一旦急
勾配となり、 その先が小さな平坦地になってます。
 人為的な造作を感じました
 
 
 
 
 
現地案内板より抜粋
 青山(割谷)城
 本城が築かれた年代については不明な点が多いのですが、「関八州古戦録」には永禄6年(1563年)  「松山城へは上田案楽斉、同上野介朝広を還往なさしめ青山、腰越の両砦と共に堅固に相守らせ」 とあり、戦国時代、松山城の支城であったことがわかります。
 東2,6キロメートルには小倉城があり、北6キロメートルには高見城、西3,4キロメートルには腰越城を臨む事ができます。
 また裾を流れる槻川に沿った鎌倉裏街道を見下ろす地理的な要所に位置した城址です。
 
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 ここで唐突に現地縄張り図を掲載します。
現在位置は 右下「3の廓跡」の先にある堀切の更に先で、縄張り図には載ってません。
 
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 なだらかだった尾根道が、急坂になり その先に堀切りが見えて来ました。
 
 
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堀切り 堀底から見上げて撮影。   右手が3廓。  
 
 
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    この堀切りは岩盤を堀抜いているようです。 
その上に石積みを施している様にも見えました。
 
 
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3郭から先ほどの堀切りを撮影。  
 
           
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こちらは 本郭と3郭を分ける堀切りです。 深さは5m以上あります。     
 
 
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本郭側から撮影。                                     
奥が3郭になります。画像でも解る様にそれ程の広さではありませんでした。      
                            
 
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本郭内部の様子です。 唯一広々した空間。 但し内部ではL字に走る土地の高低差があり 当時は本郭内部も区分けがなされていたようです。         
 縄張り図と案内はこの本郭にあります。                            
 
 
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本郭土塁線上にある石積み跡・・・の筈です。 枯れ葉に埋もれている上に、石が以外と積み上がってなくて、埋もれているのでしょうか。                  
 
 
 
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石積みの先は2郭になりますが、2郭を抜ける尾根道イメージ 10の外は藪々で良く解りません
 
 
 
2郭の堀切りです。写真では解りにくいですが 意外と見ごたえあります。     
 
 
 
 
 
 
 
 
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「帯曲輪」の様子です。                                    
それ程明瞭に残っていなかった気がします。 土塁もなかったかと記憶が不明瞭です。            
 
2郭から先尾根道をひたすら歩くと 麓に降りずに小倉城に行けるようです(結構ありそうですが・・・)                                            
                              
 案内板には腰越城と連携して 武州松山城の防衛を担ったように説明されてますが 小倉城との関連が気になります。                               
         
さて、勝手な総評をとしては、 山登りが少々あるものの、戦術クラスの技巧的縄張りは一見の価値ありとして、 4 とします。     一応5段階評価です。