又しても更新が延び延びになってしまいました。
城巡りも、 震災後はめっきり御無沙汰になっております。
今回は 、先日(4月初旬) “休日返上” で静岡に行った際に 立ち寄った 「山中城」 の記事です。
余談ですが、 最近の訪城はこの 仕事ついで パターンばかりでして・・・
山中城 西櫓 畝堀
山中城と言えば 「障子堀」 の遺構はあまりにも有名ですが (多分)、 その辺りの写真もおいおい掲載してゆきます。
凄く簡単に城の来歴を・・
特に下の縄張り図 左下の 「岱碕出丸」 はその頃の増築部のようですが、 戦闘時は未完成の状態であったとされてます。
戦闘は1590年の3月29日。
守備兵約4000で籠る山中城に、 秀次軍3万5千以上が大手・岱崎出丸方面、 徳川方が西の丸方面へ殺到、 強引な力攻めの末に甚大犠牲者を出しながらも僅か一日で陥落させています。
豊臣方にすれば 開戦劈頭の山中城攻めに手こずる訳にはいかなかったんでしょうか、 かなり強引な荒っぽい攻め方です。
現地の縄張り図です。
左手は山を下り三島方面 ・ 右手が小田原方面です。
図下部 山中の集落は当時の 「3の丸」 に当たります。
右下は本郭付近。 廓群は尾根筋を利用して築かれています。
1国 沿いの専用駐車場に車を入れて 進路を進むとまず この石畳の箱根旧街道にぶつかります。
石畳みは歩きやすいとは決して言えないのですが、 この道は本当に東海道の雰囲気を留めていそうですね。
街道左手は 「岱崎出丸」 になります。 街道を見下ろしつつ遥か先まで並行してます。
左手の坂を登ります。
岱崎出丸の帯廓らしき所に出ました。 現在ここは耕作地のようです。
畑を廓の先端に向かってしばらく歩くと、 見えてきました 岱崎出丸の畝堀。
山中城と言えば必ず出てくるカットですね~渋い、 土の城の真骨頂といった所でしょうか。
若干、堀底の畝が風化して低くなってませんか?・・・
反対側まで歩いて 振り返って撮影。 土塁面には犬走りも見えますね。
すり鉢廓先端の茂みにカメラを突っ込み撮影。
葉っぱが邪魔でしたが、 下に数メートルは落ち込んでるように思えました。
切岸加工は施してるようですが・・畝堀をこちらまで巡らす余裕はなかったんでしょうか
同じく岱崎廓 街道から見て裏側の様子。
こちらには畝堀もなく このような帯廓らしき勾配の緩い遺構になってます。