ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

八王子城 再訪③ (東京都 八王子市)

 
  八王子城再訪②の続きになります。
 
 前回は麓の金子廓からキツイ山道を登り本廓までの掲載でした。 
 さて、 その本丸が八王子城の最深部という訳ではなく 遺構は更に山深く尾根伝いに続いてております。
  
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 別の縄張り図を掲載します。   「図説縄張りのすべて」 より抜粋。 
  画像中央山頂部が本郭の位置になります。  地図 右下の麓から上へ上へと移動して更に上の大天守跡まで行きます。。 
 
 
 
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 その前に 松木廓跡です。 石碑やベンチなどがあり古城の雰囲気はなく ハイキングコース上の休憩所といった所でしょうか。 
 
 
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 松木廓の下には 石積みがありました。 これは 復元か積み直した物でしょうね。
石の形状や寸法は先の法面石積みとほぼ同じでした。
 
 
 
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縄張り図の黒い線(登山道)を伝って奥の大天守を目指します。
 これは途中にある井戸。  ほぼ山頂といった位置なのに水源がちゃんとあるんですね。
 
 
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 井戸の先で何故か道を間違えて
本郭奥にある尾根沿いの小廓群に迷い込み、 そこを撮影。
 
 その先の馬冷に降りる道が凄まじく急勾配で全くお薦めしまできません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 「馬冷」と呼ばれる大堀切に到着。 岩肌を堀り抜き 尾根を断ち切り、 堅固な遮断線を形成してます。 
この労力はどれ程のものだったのでしょうか。
 
 
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 馬冷を過ぎると暫くは尾根道が続きます。 
 この辺りまで来ると殆ど人ともすれ違いません。
縄張り図を見ると途中に石積みがあったらしいのですが 全く気付かず通り過ぎていたようです。
 
 
 
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 馬冷から20分位、 小さな山頂部に大天守廓の石積みが見えて来ます。
ここの最後の長い登り坂が かなりの急勾配でバテました。 
 あの上から石でも落とされた、この腺の突破は容易ではないでしょう。
 
 
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 石積みの上の 「伝大天守廓跡」。 実際には   を付けるには余りにも狭い空間に過ぎませんでした。
矢倉を組んだらもういっぱいでしょう。  
 一面ゴロゴロと石が転がってます。 当時は周囲を固めていた石材だったのでしょうね。
 
 
 
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  大天守裏側には、 尾根筋を断ち切る 大堀切りがあります。 
 堀切りの両側は土ではなく“岩盤”です。 
 ここは岩盤を10メートル以上も手堀で堀下げてあるんですね、 凄い迫力。 山登りをしても見る価値はありでしょう。 
  
 
 
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  堀切りの堀底から撮影。
 この時、 背中側の山裾から かなりはっきりと駅の発車アナウンスと発車ベルの音が聞こえてきまして、 
ほぅ~結構山奥に入り込んだつもりが、 案外下の甲州街道に近い所になんだぁ・・と  その時は気にもしませんでした。
 が、 後で位置関係が気になり調べると・・えーどの駅の音だったんだ?? と思うほど駅とは全く離れた所でした。
 それが大体 下の地図の位置かと・・
 

 八王子城は、 広大な城域なので下の様子が上の廓に上手く伝達されたのかが疑問でしたが、 離れた駅のアナウンスが聞こえる位ならば、麓からの干戈を交える音がはっきりと聞こえていたかも知れません。


 
 
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 一転して 麓の廓に戻ります。 ここは アシダ廓のお堂から御主殿に向かった所にある郭。
尾根沿いの廓も見事ですが、 居館部の土塁群も見ごたえあります。 
 
 
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 麓の廓群にはあちこちで祀られています。
 ・・・が、左下のあれが・・何でしょうか、 かなり不気味。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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城山川沿いの林道まで降りて来ました。 居館を巡る土塁のカーブが実にいい味を出してます。
 
 
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 林道を歩くと 見えて来ました。 御主殿と城山川対岸の廓を繋ぐ有名な復元橋梁です。
この辺りの石積みも復元です。 
 
 ④に続きます。