更新遅れましたが 的場城1の続きと参ります。
前回は道のりの解説と前置きで終わってるので、ここからが的場城の紹介ですね。
公共の図がないので 余湖さんのHPからまたしても縄張り図を借用します。
的場城1では、右側の森のどこかから的場城の稜線のいずれかに登り切った所で終わってます。
これは前回最終で紹介した写真です。
到達した稜線上は人為的に均されたように平坦ですが、郭と呼ぶ程の普請ではありません。
的場城の位置は、稜線の上か下か? 判らなくなっているので(プチ遭難?)ひとまず下の方から確認する事にします。
下ってすぐに現れるのがこちら古道のような溝状遺構。
的場城の稜線から東側(図右側)に派生する支尾根上に造られていますが、落ち葉の堆積から現在は廃道と思われます。
実はこの溝状遺構、縄張り図4郭右下にあるジグザグ道なんです。
この時は全く気付くこともなく、更に稜線を下りどんどん的場城から離れていってます。
三角点を発見。
肝心の城郭遺構は全く見当たらず、下りが間違いな事にようやく気付き ここから引き返します。
※的場城1 で掲載した地図にこの三角点の印があります。
稜線を登るとほどなく土橋状の遺構が現れ、やっと的場城に到着です。
稜線に到達した地点は、ジグザグ古道と2条の竪堀の間くらいのようでした。
さっと登ればすぐに遺構に辿り着けていたんですね。
こちらは4郭手前の横堀遺構。
試しに線を追加してみました・・・がイマイチですね。
人為的に造られた比高差だけでも伝わるといいのですが。
4郭土塁線上に登って振り返り撮影。
稜線南側にあたるので的場城の大手方向と言えるでしょうか。
むしろ最初に接敵する防衛線と言った方が適切かもしれません、それ故か厳重な防衛線に思えます。
4郭東側の横堀を撮影
郭を徹底して横堀で囲み各郭の脇腹の防禦を強化する縄張は、この的場城の特徴の一つと言えるでしょう。
前回紹介した守屋山城のようなどちらかと言うと「素朴な山城」の縄張は、脇腹は地山の険阻な地形を防衛の主体として、土木工事は主に稜線上を堀切でブツ切りする方に振り切ってます。
この辺りの凝った縄張りが、白山城のような武田氏系の発達した縄張りとの共通性を感じさせる所でしょうかね。
またしても横堀を加筆しましたが・・かえって判り難いかも・・
地山の地形が比較的なだらかで要害性が低いのも、横堀が必要とされた一因にも思えます。
こちらは4郭東側虎口を外側から撮影したもの。
同虎口を郭内側の土塁線上から見下ろして撮影。
同 4郭土塁線から郭内部を撮影。
土塁は郭をぐるっと囲んでますが、高さは現状で1m程度。
元々高さはさほど必要とされなかったのかもしれません。
同 4郭西側の土塁線から横堀を撮影。
同じような写真が続いてますが・・地山のなだらかな様子が分かりますか?
横堀の先には竪堀が幾つかあるのですが、ここからでは判らないですねぇ
少し短いですが きりが良いので続きは 的場城3 にて