ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

的場城 (長野県 伊那市)1

的場城

 

訪問 2019年11月

 

駐車場 無し

案内板 無し

 

 

 今回訪問した高遠と言えば現在は伊那市の一部ですが、元々は高遠町として独立した自治体でした。

 

 平成の町村合併の流れで伊那市に併呑された経緯がありますが、個人的には高遠町の印象が未だに強く、伊那市の高遠」と紹介するのに違和感が残ります。(昭和の人なんで・・)

 

 その(旧)高遠町の名所と言えば高遠城でしょう。

 

 桜の名所として一般の方にも史跡・観光地として知られる城郭遺構で、桜雲橋とタカトウ桜の組み合わせ写真は定番。

 ※以前訪問した時の写真 ↓ です。葉桜ですがあしからず

 前置きが長くなりましたが

 そんな高遠一般の知名度は絶望的に低いながらも城郭マニアという極限られた人種に絶大な認知度を誇る山城があります。

 

 それが今回紹介の的場城になります。

 

 

的場城 主郭を北側から望む

 

 

 的場城は稜線上に築かれた山城で、その極めて技巧的な縄張りが最大の特徴にあたります。

 

 一方、城の来歴は不明で武田氏の関与と高遠城との関係が示唆されてますが、築城者・築城年・築城目的 は明らかにされてません。

 

 一応ですね、高遠城の支城説が強いようです。織田軍の伊那侵攻に備えた城とか。 

 

 

場所はグーグル先生に お任せ・・

 したい所ですが

的場城のピンがないので南麓の蓮華寺さんに代理で登場してもらってます。

 

 

 こちらで的場城高遠城との位置関係を地図に落とし込みました。

 

 

 高遠城から見ると、的場城は藤沢川を挟んだ北岸の稜線上に位置し、互いの確認は容易ですが相互に連携した用兵は難しそうですね。

 

  また、杖突街道から諏訪方面へ侵攻するなら、的場城は無視して通過できない位置にあります。

 

 

 

 それでは麓の蓮華寺さんから、オレンジ色の矢印の順路で的場城を目指します。

 

はい

こちらスタート地点の高遠城です。

 

 

 と 言うのも的場城の麓に車を停められそうな場所が見あたらず、高遠城の駐車場を利用させてもらってます。

 

 

 麓の蓮華寺さんに頼んで停めさせてもらった、情報もありましたが檀家ではないので基本停めません。

 それに、高遠城との位置関係を掴む意味でもこちらの方がいいでしょう。

 

 

高遠城から望む的場城の遠景。

 正面やや左手の稜線上に的場城はあります。

 

 では、さっそく坂を下りて的場城に向かいましょう。

 

市街地を流れる藤沢川を渡ります。

 渡河した後は再び坂道で今度はひたすら登ります。

 

的場集落に入り正面に蓮華寺が見えて来ました。

 的場城という名前は、集落の名前を便宜上付けられたんでしょうね。

 

それにしても坂が多い・・・

 高遠城からは10分程度ですが意外に疲れます。

 

 目印である「絵島の墓」を目指します。

墓は本堂奥の墓地にあります。

 

ここが「絵島の墓」 

 この奥に獣除けフェンスの出入り口があり、的場城へのアプローチとなります。

 

 

 本来は的場城への目印という訳ではないので、案内板も載せておきます。

 

 さて、フェンスを越えたら右です。

山腹を用水路が水平に延びているのでこれに沿って進みます。

 

途中、何本かの丸太橋を通過します。

 この辺りから渡ってその先の作業道から的場城へ行けそうな気もしましたが。

 

 

 なにせ人為的な地形が見えるんですね。

 遺構のようにも、そうじゃないようにも見える微妙な地形ですが。

 

獣除けフェンスから約10分程でアプローチ地点に到着

 

 水平移動でかなり的場城の尾根を回り込んでいるので稜線東側からアプローチする事になります。

 

フェンス出入口から4本目の橋だったような・・

まぁ架設の橋なんて撤去や新設もあり得るので本数はあてにできないでしょう。

 

橋を渡って振り返り撮影。

 むしろ木と背景が目印になるかも。

 

 橋の辺りは若干藪でしたが奥に進むと歩きやすくなります。

 

 薄い踏み跡が森の奥まで続いてます。

 

 地形としては、写真正面に的場城のある稜線が左右に延び、そこから派生した支尾根が左右に延びてます。

 薄い踏み跡を辿ると、両支尾根に挟まれた谷地を進むことになります。

 

 

 森の中まで進むと早速土塁線のような遺構が谷筋を塞ぐように残ります。

 

おぉ、虎口まである! と

喜び勇んで撮影した所。

 

その虎口 を越えて振り返って撮影した場面です。

 

 冷静に写真を見ると耕作放棄地のようにも見えるんですね・・これ。 

 

 しかし、この時はすっかり舞い上がって、そのまま谷筋を真っすぐに登っていったんですが

 

 

 実は既に道を間違えていました・・・

 

 

 本来は、土塁らしき遺構の手前から、左の支尾根に向かう踏み跡を辿るのが正解なんですが 完全に見落としてました。

 

踏み跡・・判りますか??

 

判らないでしょ

 

 現地で見てもこんな感じで、この写真は帰りに撮影したもの。

 

 

 正解のルートはこれです。

 

ルートファインディングの難易度が首都高よりも高い・・

 

 ちなみに痕跡程度の踏み跡は、しゃがんで視線を低くすると多少確認しやすい気がします。

 

 

 さて、的場城を目前にしていよいよ正面の谷筋の斜度は厳しくなり、ここに至りようやく道間違いの失態に気づいても尚のんきに写真を撮っている状態です。

 

 

 これ以上正面は進めないので、左右どちらかの支尾根に取りついて尾根筋から的場城のある稜線を目指す事にします。(一旦戻ればいいものを・・)

 

 

選択したのは右側の尾根。

 理由は右側の尾根に続く作業道とも呼べない程の踏み跡があったからですが、写真に写らない位の痕跡ですねぇ。

 

 

右側の尾根筋に出た所。

 僅かに残っていた踏み跡は完全に消滅してますが、なだらかな尾根筋なのでそのまま直登する事にします。

 

 支尾根の根本近くで踏み跡が明瞭に戻り、作業道程まで回復したので道なりに進みます。

 

 頭上は的場城のある稜線と推測。

現在的場城の直下を南に向かって水平移動してます。

 

 

頭上から巨大な竪堀が降りてきてます。

 明瞭な城郭遺構と遭遇してちょっとホットした所。

 

 

 道なりに進むと作業道はいよいよ稜線上まで登り、やっと的場城に到着。

 

色々ありましたが高遠城からは約45分の道のりでした。

 

 

所で ここは的場城のどこ?

 

 

 途中の道迷いで現在位置が不明瞭です、まずは確認から始める事にしました。

 

 

 結局 お城の紹介が全くできてませんが

 

的場城2 に続きます。