天神山城
訪問 2022年11月
駐車場 無し
案内板 有り
今年のテーマは都内の城郭?
またしても都内編です。
遠征が減っている代わりに近場の訪問が増えるのが最近の傾向ですね。
今回から都内武蔵野台地に残る城郭遺構をまとめて紹介します。
武蔵野台地は多摩川が作り出した広大な扇状地で現在その多くが住宅地として開発されています。
一見フラットに見える武蔵野台地ですが、荒川や多摩川が削り出した崖端地形や、中小河川の浸食作用による谷戸など意外に変化に富む地形も併せ持ちます。
紹介予定の中世城郭も、その台地を削り出す浸食地形を上手く利用し築かれいます。
さて、初回にあたる「天神山城」も例外ではなく仙川の蛇行によって造られた舌状台地を利用して築かれた単郭式の小規模城郭の一つです。
天神山城から見上げた中央道-外環道ジャンクション建設現場
今回は試験的に「国土地理院」先生の航空写真を載せます。
中央道三鷹料金所と外環道の工事現場の間に残る雑木林?
今でこそそんな印象しかありませんが
元の地形を探る為に 今からタイムスリップします。
では
1945~1950年の天神山城周辺の航空写真です。
仙川が作り出した舌状の河岸段丘を上手く利用して築かれている事が判ります。
それにしても、戦後開発の凄まじさ・・農村の面影が全く消えてますね。
仙川も河川改修によって河道が直線的に変えられ、天神山城が築かれた占地の理由が判り難くなっています。
さて 現状の天神山城に行きましょう。
入口はココ。 郊外にありがちな公園の雰囲気ですが
入口に周囲の案内板もあり、普通の公園ではないと静かに主張してます。
天神山城は河岸段丘崖面を利用して築かれた単郭式の城とのこと。
入口から入るとそこは唯一の郭内部。
おっ! 土塁線があります。
だいぶ風化してますが、案内板も併設されてますね。
案内板を拡大します。
築城主・築城年・築城目的ともに不明という「中世城郭あるある」な天神山城ですが、後北条氏によって築かれたと考えるのが自然でしょう。
説明にもある扇谷上杉氏が築いた「深大寺城」の警戒と、策源地の河越城攻略に備えた臨時の砦のようなものかと。
土塁の裏に残る空堀。
空堀は直線ではなく折れも設けられ技巧性も感じられますが、明確な遺構はこの空堀と土塁だけ。
仙川側はなだらかな下り坂。
切岸の名残とも言えなくもないが、遺構と確証を持って言えない程度。
あっという間に見学が終わったので、外側から地形を観察します。
天神山城の南側では外環道の工事が絶賛進行中。
いつ完成するの外環道・・
部分開通から30年以上は経ってますがいくら何でもテンポ遅くないですか?
などと考えていたら
いつもモニター見てる人がいる「櫓」 を発見。
※分かる人いますよね
仙川沿いから天神山城を撮影。
河道変更に伴って天神山城は削られているので現役当時の光景とは異なります。
都内の中小河川って最近は水質がいいんですよね。
昭和のどぶ川のイメージで覗き込むと水質の良さにちょっと驚かされます。
鴨ですかね、のんびりしてます。
千川挟んだ「島屋敷遺跡」にも足を延ばします。
内部はURの団地そのものなので この位にしておきます。
わざわざ立ち寄った訳ではなく
団地南側の住宅地のタイムズを利用したので、車で天神山城見学ならここのタイムズが最寄りの駐車場だと思います。
天神山城の評価は 3 とさせて下さい。
単郭式の簡素な縄張で頼りなくさえ感じますが、築城者の目的と合致すれば「城」としての機能を十分に果たしていたと考えていいでしょう。
城の3方は仙川が作り上げた天然自然地形を利用して、人力で普請したのは北側の空堀と土塁だけ、現代的に言えば大変コスパが良い城。
もう1点として、天神山城が後北条氏による築城なら西方約1キロに存在する「深大寺城」の存在。
深大寺城は、後北条氏とは長らく交戦状態であった扇谷上杉氏が北条領の最前線に築いた楔であり、そんな敵方の軍事拠点の目の前ならコスパ+短工期が絶対の条件でしょう。
やや話が脱線しましたが
今回は単発の訪問ですが、本来は天神山城と深大寺城のセットで訪問して両城の関係や縄張りの違い等をあれこれ妄想するのがお勧めです。
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