沖山の塁
訪問 2022年12月
駐車場 無し
案内板 無し
「武蔵野に残る中世城郭」 2回目は詳細不明な城郭遺構「沖山の塁」です。
こちらは既出の「東京都の中世城郭」に掲載された中世城郭遺構で城の来歴は不明。
荒川を望む崖線を利用ており、遺構としてはやや埋没した空堀等が見られるのみで郭の遺構は確認されていないようです。
防禦線のみの遺構である為か「お城」を名乗らず「塁」と呼称されてます。
沖山の塁(赤塚公園)に残る崖端地形。
今回は、なかなかの激シブな物件です。
公園に僅かに残る地形だけを見てそれが城郭遺構と気付けるか?
その 眼力を問われます??
ちなみに 私は全然駄目でしたが
今回は、掲載写真を見て見分けられるかを楽しんで頂ければ幸いかと。
今回も「国土地理院」先生に登場してもらいます。
高島平団地の南側
荒川が削り出した崖線の高低差を利用して沖山の塁は築かれています。
でも、現在の航空写真では元の地形が判り難いですよね
では またタイムスリップしましょう。
時代は戦前
1936~1942年頃
同じ場所ですよこれ。
北の水田地帯(沖積平野)と南の畑作地帯(武蔵野台地)がはっきり分かれてますね。
では再び 現在へ
荒川まで続いていた広大な水田は全て宅地造成され、頭上には首都高5号線の高架橋。
別の国のような変貌を遂げてますが 振り返ると
荒川を望む段丘崖面だけは往時の姿を留めています、ここは赤塚公園の敷地。
公園案内図があったので掲載します。
赤塚公園は荒川の河岸段丘崖面にあたるので東西にやたら長い。
沖山の塁は、赤塚公園のほぼ真ん中、沖山地区が該当します。
公園案内図に「赤塚城」の表記はあっても「沖山の塁」への言及はありません。
公園HPも確認しましたが一言も触れられてませんね。
公園内にも「沖山の塁」を表記した掲示はありませんでした。
まっ とにかく見学しましょう。
こちらは「沖山地区」東端部
眼前に巨大な土塁線が・・・と見えますがこれは段丘崖面です。
段丘を登ると・・・
はい こちらが「沖山の塁」の空堀の遺構です。
掲載しながらも 画像だけで空堀と分かる人・・いるのか疑問です。
実際、何度も往復して本に記載ある空堀であろう と確証が持てた位ですね、
こちらも「空堀」の遺構らしいです・・
これは現地で見てもさっぱり、難易度が高過ぎですね
赤塚公園の「沖山地区」を城址として訪問する人が一体どれだけいるのか?
予備知識がなければ私は絶対に気づかない自信があります。
奥の自由広場は郭に見えないもない。
堀などの土木工事を施さずに柵などで済ませていた簡易的な郭は存在したかも。
東側は難し過ぎるので段丘崖面に沿って西側を目指します。
こちらは沖山地区西端と大門地区とを隔てる道路側から探索。
ここは、遺構に見えますね。
雑木林の手前に空堀があってUの字に住宅地との間まで伸びてます。
これも、「沖山の塁」の事前知識がなければ気づきませんって。
沖山地区西端に階段があったので近づいてみましょう。
ここは郭、つまり城郭遺構(らしさ)を唯一感じます。
引きのアングルで撮影。
舌状の郭に見えてきました。 お城訪問を実感できるのはここでけでした。
沖山の塁の評価は 1 とさせて下さい。
「東京都の中世城郭」に掲載されていたので気になって赤塚城とセットで訪問しました「沖山の塁」。
どうでしょうか?
激シブ城郭遺構の名に恥じない? 激シブな遺構たち。
正直に言えば私にとって、この遺構を堪能するにはまだまだ未熟でした。
この微妙な地形の凹凸を最初に「城跡」と気づいた人は超人ですよきっと。
肝心な遺構ですが、崖線を利用するのは城郭の立地としてはセオリー通り、通常では崖背後に堀等で囲った郭を設けるのですが、郭の遺構は確認されていない。
本文でも触れましたが、簡易的な木柵などで囲って郭としていた可能性はあると思います。
そうなると土木遺構としては後世に残らず結果的に激シブ遺構化しますね。
いずれにしても、臨時的な陣城や陣地のような遺構ではないでしょうか。
同じ崖線沿いに築かれた「赤塚城」はずっと城らしさを残しているので2城セットで訪問して遺構の違いを比較するのが面白いかと。
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