平瀬城
訪問 2018年 10月
駐車場 有り(麓)
案内板 無し(パンフレット有り)
引き続き松本市内の山城紹介が続きます。
近傍の山城が続くと、縄張りの類似性から何となく同じ城を何度も紹介している気分に陥る事があります。
それでも、平瀬城のように個性的と言いますか
「見所はここです!」 と判り易く言える城もあったします。
今回の平瀬城の見所ポイントは
ずばり主郭からの眺望。
北アルプスが一望できる素晴らしい立地です。
※縄張りも素晴らしいです
平瀬城 主郭からの眺望。
山城なんだから見晴らしがいい所に築城されるのは当たりまえ・・と 言われそうですが実際の城跡は樹木が茂って眺望0の所が多いんですね。
これだけ見やすく管理されていてロケーションも良い山城は、それだけで貴重な存在と言ってもいいと思います。
さて
場所は以下のURLを参照して下さい。
位置は松本市の最北部。
国道19号と並走する篠ノ井線高架に「平瀬城入口」と言う内容の案内が出ています。
小さな標識ですが国道沿いなので確認は容易です。
麓には数台停められる駐車場が用意されてます。
有難いですね、こんな山城マニアが利用するには勿体ない。
駐車場から真っすぐ歩いて突き当りが平瀬城の登城口。
夥しい石碑と案内板が目印。
平瀬城へは画像右端から、谷筋を登ります。
かなり力の入ったパンフレット。
俳優の仲代達矢氏も協賛され一口城主になられているとか。
イラストの騎馬武者はどことなく〇達正宗公に似ているような・・いや気のせいでしょう。
パンフレット同封の縄張り図。
平瀬城は複数の山城を総合した山城群から構成されてます。
縄張り図には本体の平瀬城と隣接する南支城が掲載されてますね。
ここでは割愛されてますが、北側にも支城があるようです。
今回の訪城ルートを加筆。 Pの位置が駐車場です。
パンフレット平瀬城の説明を掲載します。
平瀬城跡の歴史
平瀬城跡は、今から470年前の天文20年(1551)10月24日、甲斐の武田信玄に攻められ、激しい攻防の末、時の城将「平瀬光信」以下204名の将士が討ち取られ、全滅したと高白斎記に記録されております。
その後、平瀬城は武田方により城割りが行われ、その上で武田方の城を築く鍬立の儀式が行われたとの記録があります。
しかし、戦局が地方から中央に移り、平瀬城の重要性は減少していったと思われます。
この為、城の遺構は破壊されることなく、「本城・南城」共に主郭部分が中信地方の山城の中でもずば抜けて面積が広く、尾根続きの背後に築かれている連続竪堀はこの地方一帯に見られる特徴的遺構であり、その規模や複雑さに於いて他の山城を遥かに上回っていると評価されております。
文面から平瀬城への愛情がぐいぐいと伝わってくるようです。
さて、早速平瀬城に向かいましょう。
しばらくは沢沿いのルートを辿ります。
右手が南支城、左手が平瀬城本体。
沢沿いを進むと「南支城入口→」の案内が出てきます。
ここ
矢印の先にいくら探しても道はありません。
沢を渡っても絶壁があるだけ・・
道がなければよじ登ってしまえ・・も良いのですが、前日の雨で山肌はじっとり湿って登れば泥まみれは必定。
慎重に検討した結果、今回山肌に取りつくのは遠慮させて頂きました。
看板を裏側から撮影。
本当に看板だけ立ってるんですね。
マニアならよじ登れっと言わんばかりですが、こういうのは嫌いじゃないです。
今回はスマートに平瀬城の本城だけを見学する事にします。
途中沢を再び渡ります。
沢沿いの平場。
日当たりが悪くジメジメしてますが、何らかの郭跡か?
ここから 平瀬城主腰部へ向けて山登りルートになります。
画像手前から竪堀(山道に丸太を渡してある箇所)、その背後に竪堀と並行する土塁線。
土塁線の奥が郭部になります。
土塁線を抜けて正面を撮影。
郭の反対側(東側)を仕切る巨大土塁が圧巻の規模
郭全景を撮影。
ここは主郭の有る尾根筋の南側を守る郭ですが、元の地形は当然山の斜面。
平場もこのようにかなりの勾配が残っています。
反対側から撮影。
幾段かの段郭にもしてますね。背後は巨大な土塁線です。
平瀬城2 に続きます。