前回からの続きです。
火之御子社から徒歩で15分ほど南へ車道を下ると宝光社に至ります。
宝光社
長野市内から向かうとまず辿りつくのがここ宝光社です。
高原台地の崖端状の所に立地しており、麓に鳥居と小さな駐車場があります。
そこから一気に心臓破りの石段を登り切るとお社があります。
参道両脇に控えるこちらの杉の巨樹も奥社に負けず劣らず見事でした。
登り切った所です。 社の造作 特に彫刻は見事の一言です。大きすぎて軒先がはみ出してます。
・祭神 天表春命 (あめのうわはるのみこと)
中社の祭神である天八意思兼命の子神だそうです。
横からのアングルです。 斗栱がついてますね。 ・・斗・・と・・何とかって・・何? という方はこちらを・・
静かな雰囲気の中でお参りしたい方にはこちら宝光社がお薦めです。
奥社・九頭龍社・中社 と比べて圧倒的に人が少なく静か。
それでいて社の規模・造作共に最も凝った造りです、 唯一の問題は石段の勾配がキツイ事でしょうか。
宝光社の凝った造りは神仏習合時代の名残だそうです。
言われてみるとお寺の本堂の造りにも見えます。
宝光社の裏手には
「神道」 と呼ばれる山道がありました。
徒歩で中社や火之御子社へ行ける参道だそうです。
勿論 今では車移動が主流ですので、暫く歩いても誰ともすれ違いませんでした。
途中で妙な石碑が・・・
誰もいない参道にNHKの石碑がありました。 解る人には解るのでしょうが・・小鳥の声。
丁度 伏拝(ふしおがみ)という所です。
女人禁制だった奥社に合祀されていた天表春命が この地に社を築けと話したので宝光社が造られた と
いう宝光社建設の経緯が書かれておりました。
戸隠界隈には他にも神話や伝説にまつわる ちょっと変わった場所が幾つか存在してます。
今回は時間の関係で一つだけ行けたので、それのおまけ報告です。
鬼女紅葉の岩屋
鬼女紅葉(もみじ)が籠ったと伝わるほら穴です。
戸隠と言うより山を隔てた鬼無里の伝承のようです。
937年(承平7年)のこと、 会津には子供に恵まれなかった夫婦、 伴笹丸(とものささまる)と菊世(きくよ)がいた。二人が第六天の魔王に祈った甲斐があり、 女児を得、呉葉(くれは)と名付けた。
才色兼備の呉葉は豪農の息子に強引に結婚を迫られた。 呉葉は秘術によって自分そっくりの美女を生み出し、 これを身代わりに結婚させた。偽呉葉と豪農の息子はしばらくは睦まじく暮らしたが、 ある日偽呉葉は糸の雲に乗って消え、その時既に呉葉の家族も逃亡していた。
呉葉と両親は京に上った。 ここでは呉葉は紅葉と名乗り、 初め琴を教えていたが、 源経基の目にとまり、腰元となりやがて局となった。紅葉は経基の子供を妊娠するが、その頃御台所が懸かっていた病の原因が紅葉の呪いであると比叡山の高僧に看破され、 結局経基は紅葉を信州戸隠に追放することにした。
956年(天暦10年)秋、 まさに紅葉の時期に、 紅葉は水無瀬(鬼無里)に辿り着いた。 経基の子を宿し京の文物に通じ、しかも美人である紅葉は村びと達に尊ばれはしたものの、やはり恋しいのは都の暮らしである。経基に因んで息子に経若丸(つねわかまる)と名付け、 また村びとも村の各所に京にゆかりの地名を付けた。 これらの地名は現在でも鬼無里の地に残っている。
だが、我が身を思うと京での栄華は遥かに遠い。 このため次第に紅葉の心は荒み、 京に上るための軍資金を集めようと、 一党を率いて戸隠山に籠り、夜な夜な他の村を荒しに出るようになる。 この噂は戸隠の鬼女として京にまで伝わった
ここに平維茂が鬼女討伐を任ぜられ、 笹平(ささだいら)に陣を構え出撃したものの、 紅葉の妖術に阻まれさんざんな目にあう。 かくなる上は神仏に縋る他なしと、観音に参る事17日、ついに夢枕に現れた白髪の老僧から降魔の剣を授かる。今度こそ鬼女を伐つべしと意気上がる維茂軍の前に、 流石の紅葉も敗れ、維茂が振る神剣の一撃に首を跳ねられることとなった。 呉葉=紅葉33歳の晩秋であった。
―ウィキペディアより抜粋―
舗装された林道が通じてますが交通量は極小で落石小石が多く道は荒れ気味です。
これをトコトコと登ると・・・
途中 戸隠が一望に望めるポイントが幾つかあります。 隠れ絶景ポイント?でしょう。
怪しい林道を進む事30分程で峠のトンネル到着。
脇に紅葉の岩屋への案内が出ており、車も数台停められるスペースがあります。
「←100メートル」 とあり、案内に従って進むと 登る道と下る道に分岐しており大いに迷います。
が、正解は登る方です。 下るとどこへ通じるかは解りません。
山道を徒歩2~3分位進むと岩穴が見えてきました。 穴の上にも人為的としか思えない窪みもあります。
南側斜面に穴はありますが木立に覆われた関係で 薄暗く不気味な雰囲気を醸し出しています。
反対側に回って全景を撮影。 穴は二つあります。 左手の穴は奥深く伸びており全く中が伺い知れません。
右手の穴の状態。
奥に祠が一つあり、周囲にある標柱状の物には 舞台や歌舞伎関係者の名前が刻まれていました。
舞台公演化の際には、お参りに来ているようです。
左手の穴です。 人の背丈くらいの高さはあります。 人為的に入口を広げたようにも見えました。
不謹慎にもフラッシュを焚いて撮影しましたが それでも奥までは光が届かず真っ暗なままです。
内部は湿気が多いのか羽虫の類がブンブンと舞っておりました。
ちなみにこの岩屋ではアクセスの不便さからか 他に観光客と会いませんでした。