ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

逆井城 (茨城県 坂東市)②

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現地の案内図です、味わい深いが普通の地図も欲しい所です。




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良く見るとコンクリ基礎の上に載っているんです。 耐久性を考えたら絶対必要でしょうが・・・

勝手なものでやはり近くで見ると目に付いてしまいます。





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関宿城から移築された薬医門。 風格が漂います。




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二階櫓から見えた大台城主殿の復元物です




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主殿の枯山水庭園。 このアングルで見るとまさに戦国時代。




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この 茅葺きの城らしくないお堂は、お寺からの移築建築物です。日本昔話に出てきそうです。

現地案内板によると

この観音堂は大安寺(坂東市)にあったものを町が譲り受け、移築・復元しました。

天正16年(1588年)建立時の棟札と弘化2年(1845年)再興時の棟札が現存しています。
               中略
木柄の大きな面取り、船肘木などはいずれも天正期特有の様式を良く残していますので、

非常に貴重な建築物として町指定の文化財となっています






イメージ 6 Tの字の横棒が肘木です

イメージ 7荒削りの魅力です、復元物より遥かに柱が太い




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現地に説明板はありませんが、古河城の書院の礎石を移設した物です

礎石は柱(床束)の台座です。




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礎石(柱)の間隔を1間と言います。現代では 1間=6尺=1820㎜ (1尺=30、3センチ)

簡単に言うと畳の長手方向の長さです。 それで1間四方が1坪となります。 

試しに間隔を測ってみました。柱の芯から芯までで凡そ1800㎜少々。現代と変わらずちょっと残念です。

と言うのも1間の長さは時代を遡るにつれて長くなる傾向があり、

室町期で7尺、平安時代で10尺近くになります。


 

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鐘堀池

現地案内板によると、逆井城が1536年に北条方に攻められ落城する際に、城主逆井常繁の奥方か娘が、

先祖代々伝わる釣鐘を被り池に入水自殺した事に因むそうです。

水が枯れた事がないそうですが、確かに空堀のここだけ水が湛えられています。ちょっと不思議です。




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これも復元された有名な櫓門です、渋いですねぇ




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2の郭は大兵力の駐屯ができる広いスペースが確保されてます。 




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2の郭東側空堀です。かなり埋まっているようですが横矢を意識したクランクが確認できます。




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城の北側からの遠景です。 手前の田んぼは飯沼の名残かと思われます。



観光目的に安直に白亜の模擬天守閣が多く築かれる中、城の建てられた戦国期の建築を再現する姿勢が

いいです。

出掛けたついでに寄れる所ではありませんが、ここはお勧めです。