訪問 2018年 4月
駐車場 無し
案内板 有り(縄張り図なし)
ではでは早速 都内の城郭紹介の続きと参ります。
付近は同じような丘陵地とベットタウンが入り組む地域で、少し西に向かいますと有名な高尾山が控えています。
初沢城 主郭部からの眺め
場所は以下のURLを参照して下さい。
初沢城の歴史を現地案内板より
初沢城跡
初沢城は標高294m、比高差110mに位置する山城です。
山頂部と北西から南東にかけて走る稜線上に築かれた主郭部と、そこから北東へ張り出す支尾根に築かれた曲輪からなります。
主郭部では、尾根の左右に堀切の跡が確認されています。
初沢城の築城年代などは明らかではありませんが、築城の方法から15世紀末頃と考えられています。
また城主については、文献資料の記述から椚田氏あるいは長井氏の可能性が指摘されています。
考えられる、指摘される・・このような曖昧な表現が多い案内板をざっくり読み解くと、 確証的な資料は残っていない詳細不明な山城・・という事です。
八王子城との関連についてはこの東京都教育員会の看板では全く触れられていないのは示唆するほどの確証が持てないからでしょうか。
さて、今回初沢城へは麓の高尾天神社からお邪魔しました。
この付近には車を寄せて停める余地はありませんので中央線高尾駅付近のコインパーキングを利用。
ここ、駅から近いんですね。
現地に縄張り図がないので「東京都の中世城館」から借用。
少し距離の離れた北東尾根先端にスプーン上のやや広い郭を擁しています。
今回の訪問ルートを加筆。
図、右上が高尾天神社。
まずは長い石段を登ります。
高尾天神社に到着、お社のあるこの平場も城跡に含まれていそうに思えますが 確証はありません。
裏側に初沢城への案内板がありますのでこれに従って進みます。
高尾天神社直上のスプーン状の郭内部の様子。
尾根先端部が比較的開けている地形を利用しています。
尾根部にも関わらず平坦なのは人為的な地形だからでしょうね。
僅かに残る郭を囲繞する横堀の跡。
と 言っても写真ではさっぱり判らないですが、現地でみても結構微妙な残存具合。
元々 浅い空堀だったのかも。
とりあえず主郭を目指して尾根道を登ります。
途中合流する支尾根のラインに掘られた堀切。
堀切を2重に設けるという厳重な防御姿勢ですが、堀切の深さは現状で1m程度でしょうか。
元々浅い堀切で済ませていたのか、風化が著しいのか判断に迷います。
主郭(郭番号1)直下の腰郭に到着。土塁の類はなし。
腰郭から初沢城主要部の稜線に出ます。
ここは主郭(郭1)と2郭を結ぶラインに設けられた堀切と中央に残された土橋跡。 かなり曖昧になってますね、風化でしょうかね。
2郭から3郭へは坂虎口で繋がっています。
3郭側から2郭方面を撮影。
こちらの遺構もメリハリがないと言いますか、曖昧な地形になっていまして城跡と知らずに訪問したら虎口も土橋も恐らく見落としたでしょう。
初沢城に隣接する配水所
配水所から稜線直下の腰郭を進みまして主郭を目指します。
突き当りに階段があって主郭に登れるようになっています。
切岸面の高低差は2mもないですね、ここが本来の虎口かは不明です。
主郭内部の全景。
思った以上に手狭な印象。
主郭に建つ初沢城の標柱。
地元の有志の方が建てられたんでしょか。
裏面にも注目!
さて、貴重な里山の光景を堪能した後は山城らしい所も味わいたい・・という事で散策路を離れて踏み分け道を進みます。
目指すは主郭北側にある大堀切。ルートが曖昧なのでお勧めはしません。
主郭北側の支尾根の根本に到着。
支尾根を下る事数十メートルで大堀切に到着。
幹にリボンが巻いてあるので山道には違いないのでしょうが、踏み跡は薄いです。
堀切の堀底から主郭側を見上げて撮影。
大堀切と言っても差し支えないでしょう、その位の本格的な堀切が散策路から外れた所に残されています。
霊堂側にある初沢城の標識です。
所要時間 1時間
初沢城の評価は 3 とさせて下さい。
山城としての縄張は、堀切を主体とした防禦姿勢に尾根上を均した小規模な郭構成に過ぎず、八王子城の支城という説なら仮想敵である太閤軍を迎え撃つには余りにも小規模、アッという間にすり潰されるだけに思えてなりません。
ここは標識にあるように15世紀に築城された戦国初期の山城と理解した方が無難でしょうか。
初沢城の現状はさほどの物があるとは・・思えないのですが、都内近郊で開発計画から逃れられ当時の姿を留めているだけで既に貴重な遺構と言えるでしょうね。