ちょっと山城に (正規運用版)

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滝山城 再訪 (東京都 八王子市) ②

 前回の「滝山城 再訪①」 では下の地図画像に振った番号の 1~10まで、つまりは左上の信濃郭と馬出し
 
から中の丸までを掲載しました。
 
 今回の 「滝山城 再訪 ②」 では主に滝山城の中核部の画像を掲載します。 
 
 前回も少し触れましたが中核部は北条氏時代の前、 大石氏の時代に築かれたと言われる区画です。 
 
画像では多少解りにくいですが、現地で見ると両氏の築城思想の違いが素人目にもはっきり解りました。
 
イメージ 1
お馴染み?の地図です  
 
 
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10  中の丸 と 本丸 を結ぶ引き橋上から堀底道を撮影。 この先、北に向かって下りながら蛇行を繰り返し
    城の搦め手に出ます。
 
 
 
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10  堀底道を北に進むと左手に本丸への石段があります。恐らく10数メートルは一気に登る心臓破りの石段
    です、城の搦め手は基本的にどこも急勾配になります。 
    本丸斜面には切岸状の小郭が幾つか付随してます。
 
 
 
 
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10  反対側になる 中の丸を見上げた所。 かなりの比高があり、その間に幾重にも帯曲輪を配しているのが
    解ります。 ①で取り上げた二の丸の大規模な空堀や大馬出し等の防禦とは全く異なります。
 
 
 
 
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11   本丸の中に移動しました。 本丸はそこそこの広さは確保されてますが、 画像に映る霞神社のある
    北半分が一段高くなっており使い勝手が悪そうに思えました。
 
 
 
 
イメージ 13
11   本丸の石碑です
 
 
 
 
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11   南側からの本丸への入り口。 小さいながらも虎口を形成してます。
 
 
 
 
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11   本丸内に残る井戸。 かなり深く掘ってありましたが残念な事に水は枯れていました。
 
 
 
 
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12  本丸北側へ移動。 こちらにも神社(名前は失念)があります。 
    木立の向こうは崖に近い急斜面で、そこからは眼下の多摩川と対岸の街が良く見えます。
 
 
 
 
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12  神社の脇に虎口を発見。 本丸の北西側です。
 
 
 
 
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12  虎口を下ると幾つかの小さな郭が見えてきました。 大石氏時代と言われるの遺構です。
 
 
 
 
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12  少し降りて 本丸北側の斜面を撮影。 杉が邪魔して解りにくいですが帯曲輪が連続してあります。
    ただ余りにも急斜面でこれ以上は進めず。
 
 
 
 
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13  本丸北西にある一段低い小郭。 郭の設計がいかにも古そうです、長鑓で戦う時代を想像しました。
    正面に空堀を挟んで本丸の斜面がうかがえます。
    
  
 
 
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13  その先遥か下まで小郭が続いてますが・・・降りたら多分戻れないので行くのを断念。
    
 
 
 
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13  同じ位置から撮影。 麓から結構高いのが解ります。
 
 
 
 
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14  一転して広い空間、 新芽の草の青が気持ちいいです。 ここは二の丸と池の間のフラットな空間。
    正面崖の上が二の丸で、左手が池方面なのですがそちらへは特に土塁などは巡らされていません。
   家臣屋敷でもあったのでしょうか。
   
 
 
 
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 15  本丸に沿って池方面へ進むと右手の土塁に虎口が見えました。
 
 
に続きます