難波田城は東京近郊にありながら周囲を田んぼに囲まれた典型的な平城です。 航空写真を見ると
城周辺のみに住宅地が広がってるので、当時は湿地帯の中に浮かぶような微高地を利用して築城されたの
ではないかと思います。
城の経緯については 現地の案内板の説明をかいつまむと
武蔵七党の一つ村山党の流れをくむ金子氏が当時南畑と呼ばれたこの地方を 承久の乱の功績により 鎌倉幕府から賜り、以降 難波田氏と名乗るようになったそうです。 室町以降は扇谷上杉氏に仕えた難波田氏ですが、主家が河越夜戦で北条氏に敗れるとその後は 北条氏に仕え城も北条方に。 城自体は北条氏滅亡と共に廃城となり、江戸時代は十玉院という寺院が建っていたそうです。ちなみに 難波田城と書いて なんばた と読むそうです。当然私は読めませんでした。
古民家ゾーン と 城跡ゾーン に分かれてます。
当時の城の規模は5万平方メートル以上と推定されるが公園として整備されているのはその半分位です。
早速城跡ゾーンに行きます。
うーん・・・なんでしょう この小奇麗な城跡は、縄張りは確かに城ですが
綺麗に整備しすぎて城跡を通り越して、庭園みたいです。
綺麗に整備しすぎて城跡を通り越して、庭園みたいです。
この画像だけを見た人は、これを城跡だとは思わないでしょうね。
大変解りやすい虎口
説明文も随所にあり城入門者としては有難いですが、当時の雰囲気を掻き立てる感じはないです。
あくまでも城跡ゾーンなんでしょうね。
奥に見える住宅地が本郭のあった所。心なしか石碑が城の墓標に・・見えます。
古民家ゾーン脇の水田。
当時はレンコン畑みたいなドロドロだったのではないでしょうか
さすが豪農の屋敷、風格が違います。
大沢家にお邪魔します。 ポカポカ陽気の昼下がり、ゴロンと横になりたい気分になります。
二間続きの和室の奥は土間です。かまどや機織り機など当時の農家の方の使った道具が数多く展示
されており中々面白いです。
変な物を撮りました。
彩色付きの陶製和式便座です。 さすが豪農と言うべきかお金の掛ける所が庶民と違います。
暗がりでピンボケしてますが花瓶みたいなこれは小便器
土間から撮りました
この難波田城公園は、城跡より古民家の展示が充実してる気がします。当時の機織り機や農機具の展示も
あり郷土資料館として十分楽しめましたが、城好きには物足りないかもしれません。
公園向かいの不自然に湿った田んぼです。 後でパンフレットを見ると竹藪(民家)と田んぼの境界が
旧水堀の境界だったようです。