ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

難波田城 (埼玉県 富士見市)

 難波田城は東京近郊にありながら周囲を田んぼに囲まれた典型的な平城です。 航空写真を見ると

城周辺のみに住宅地が広がってるので、当時は湿地帯の中に浮かぶような微高地を利用して築城されたの

ではないかと思います。

城の経緯については 現地の案内板の説明をかいつまむと
武蔵七党の一つ村山党の流れをくむ金子氏が当時南畑と呼ばれたこの地方を 承久の乱の功績により

鎌倉幕府から賜り、以降 難波田氏と名乗るようになったそうです。

室町以降は扇谷上杉氏に仕えた難波田氏ですが、主家が河越夜戦で北条氏に敗れるとその後は

北条氏に仕え城も北条方に。

城自体は北条氏滅亡と共に廃城となり、江戸時代は十玉院という寺院が建っていたそうです。
ちなみに 難波田城と書いて なんばた と読むそうです。当然私は読めませんでした。








イメージ 1

波田城は現在富士見市によって難波田公園として整備されており、中央にある資料館を挟んで 

古民家ゾーン と 城跡ゾーン に分かれてます。 

当時の城の規模は5万平方メートル以上と推定されるが公園として整備されているのはその半分位です。




イメージ 2

早速城跡ゾーンに行きます。

うーん・・・なんでしょう この小奇麗な城跡は、縄張りは確かに城ですが
イメージ 15

綺麗に整備しすぎて城跡を通り越して、庭園みたいです。

この画像だけを見た人は、これを城跡だとは思わないでしょうね。




イメージ 3

大変解りやすい虎口
イメージ 4

説明文も随所にあり城入門者としては有難いですが、当時の雰囲気を掻き立てる感じはないです。

あくまでも城跡ゾーンなんでしょうね。




イメージ 5

奥に見える住宅地が本郭のあった所。心なしか石碑が城の墓標に・・見えます。




イメージ 6

古民家ゾーン脇の水田。 

当時はレンコン畑みたいなドロドロだったのではないでしょうか




イメージ 7

こちらは古民家ゾーンの旧大沢家、明治4年に建築された名主のお屋敷です。

さすが豪農の屋敷、風格が違います。


イメージ 8

梅の花も咲きだしてました。




イメージ 9

大沢家にお邪魔します。 ポカポカ陽気の昼下がり、ゴロンと横になりたい気分になります。

二間続きの和室の奥は土間です。かまどや機織り機など当時の農家の方の使った道具が数多く展示

されており中々面白いです。




イメージ 10

変な物を撮りました。

 彩色付きの陶製和式便座です。 さすが豪農と言うべきかお金の掛ける所が庶民と違います。


イメージ 11

暗がりでピンボケしてますが花瓶みたいなこれは小便器




イメージ 12

土間から撮りました




イメージ 13

こちらは明治中期に建築された鈴木家の長屋門です。

この難波田城公園は、城跡より古民家の展示が充実してる気がします。当時の機織り機や農機具の展示も

あり郷土資料館として十分楽しめましたが、城好きには物足りないかもしれません。





イメージ 14

公園向かいの不自然に湿った田んぼです。 後でパンフレットを見ると竹藪(民家)と田んぼの境界が

旧水堀の境界だったようです。