大抵の山城は、山城址と言ってもパッと見はただの山だし、うっかりすると通り過ぎてたりする。
車で二度三度往復して入口を探すもさっぱり解らない。
小心者なのでウロウロして不審者に思われたらと、焦りながらようやく↓の入口を発見。
色褪せた林道標識が目印。
現地案内板によると
案内板の所に車を停め5分程山道を歩くと郭4の下に出ます。
江戸時代の諸記録では、「新編武蔵風土記稿」に、後北条氏重臣遠山氏、「武蔵誌」では、 比企戦国史に重要な位置を占めた上田氏を城主としているが、最新の発掘調査によると城跡の 年代推定は、16世紀前半~から後半と判明している。
城の出自には不明点が多いものの北条氏絡みの戦国時代山城には間違いないでしょう。
案内板の所に車を停め5分程山道を歩くと郭4の下に出ます。
地図の見学路に従い南側から城を辿ります。郭4のある南側尾根は、尾根幅も広く勾配も緩やかです。
郭4の中です。 奥に堀切りを挟んで郭2が見えます。
堀切りの中に入りました。幅4メートル程度です。 一部岩盤をはつって堀を開削してます。
高さは郭2側が4メートル程度、郭4側が2メートル位でしょうか
郭2の下の帯曲輪から堀切りを見ます。堀切は城外まで伸びて縦堀となってます。
郭2は結構広いです。 それにしてもこの日は寒かったです。
丁度、強い北風が吹いた日で、尾根筋の小倉城では風を遮るものがなく、まともに風を受けます。
じっとしていられない寒さで、こんな日に籠城したら戦う前に体力を消耗すること間違いなしでしょう。
虎口を抜けて郭1(本郭)に入ります。
郭1の北側、搦め手方面への虎口です
その図説です。 あちらこちらに図説があり非常に参考になります。
虎口の土塁に石積みが残ってました。
搦め手側、城の北端の尾根を遮断する大堀切りです。この先の尾根は勾配が緩やかです。
がっつりと掘り込んであるので高さ10メートルはあります。
あまりの寒さに早々に退散してしまい、詳細にはみてないのですが、石垣等見所が多く又行ってみたい
城です。