伝堀越御所跡
訪問 2018年2月
駐車場 無し
案内板 有り
伝 堀越御所跡 の紹介です。
遺構自体もまぁ あれなんですが。
所で解説に良くありがちな 「伝」
これが付く場合は、確証はないけどもそう伝わってますよぉ、位の意味ですので場合によっては眉につば付けて聞いておいた方が良かったりします。
今回の堀越御所はさてどうなんでしょうか?
現地の周辺案内図です。
独立丘陵である守山周辺には「伝堀越御所跡」以外にも史跡が点在しています。
また守山自体も守山城が存在するようですが今回は時間の関係で訪問はパスしています。
北条早雲こと伊勢宗瑞の立身出世話に登場する位?
説明がややこしいので
ウィキの堀越公方リンクを貼って済ませます。
場所は以下のURLを参照して下さい。
韮山城から西へ1キロも離れてません。
では早速 伝 堀越御所跡にお邪魔しますが、特に遺構らしきものは無し。
うーん芝生広場にしか見えないです。
堀越御所の解説板は掲げられています。 画像拡大で読めます。
内容は辺りさわりのないように調整されてますね。
意図的にドロドロな骨肉の争いには触れてないようです。
茶々丸が素行不良として土牢に幽閉されていた事、政知の死後に異母弟とその母を殺害して2代目になり上がったことなど。
仲良さげに描かれてますが、実はドロドロな親子関係の二人。
何故ならば史書には粗暴であったから討ち取りました、と言う正当性が必要だからですね。
さて、守山の麓には「北条政子 産湯の井戸」もあります。
立派な石垣、もとい背後は民家の擁壁です。
個人の敷地っぽいので余り長く見ていられない雰囲気ですね。
こちらも 「伝」産湯の井戸ですねぇ。
もう一度 伝堀越御所跡を散策。
特に遺構らしきものは無しですね、もうちょっと奥まで見れば何かあったのかも知れませんが 日没間近の為 ここで撤収です。
伝堀越御所跡の評価は 1 とさせて下さい。
特筆すべき遺構は無し という事でしょうか。
更地のような堀越御所跡を見ながら、京と関東との駆け引きの中で存在意義を失った堀越公方の悲哀を少し感じさせらた遺構でした。