湯村山城
訪問 2,020年 9月
駐車場 無し(緑が丘スポーツ公園に駐車)
案内板 無し
久々に山梨のお城を単発で紹介します。
中世~戦国期の山梨(甲斐)と言えば、甲斐武田氏が余りにも有名ですが、今回の湯村山城は甲斐武田氏の居館「躑躅ヶ崎館」の支城と伝わる山城です。
湯村山城 石積み遺構
緩やかな扇状地形に造られた躑躅ヶ崎館から南西方向に目を向けると湯村山と呼ばれる小山があります。
湯村山は甲府盆地に突き出した岬の先端のように見える地形ですが、その山頂に築かれたのが湯村山城となります。
場所はいつものようにグーグル先生にお任せ。
所で、
さて、アクセスですが、「緑が丘スポーツ公園」に車を停めからスタートします。
現地に適当な縄張り図が無い為「余湖くんのお城のページ」から借用しました。
防禦性がどうの・・と言うよりも間仕切りのような土塁線が目立つ、奇妙と言いますか不思議な縄張りと感じられると思います。
実際現地で見ても良くわかりません・・・
では車を停めた所で湯村山城に向かいましょう。
緑が丘スポーツ公園北西から延びる林道を進むと現れるのが、ここ
「武田の杜」の案内板と湯村山城への登城口
案内板を掲載します。
範囲が広いので
湯村山城周辺を拡大。
現在位置から湯村山(城)まで1.3キロ、 さりげなく距離があります。
距離は気になりましたが、さっそく登ります。
車の通行を考慮した遊歩道が続きます。
その代償として、ジグザグと山肌を行ったり来たり・・・これが思いのほか退屈。
楽に登れますが、その代わり距離が長い・・
もっと楽に登りたい方には
こちらをお勧めします。
湯村山南麓には、開発が放棄されたような分譲地があります。
山肌を縫うように登るジグザグの一本道に、半ば朽ち果てたガレージだけが並ぶちょっと不気味な所ですが、ガレージ脇から入ると先ほどのルートに合流します。
途中にある古墳もしっかり見ていきます。
ようやく湯村山城跡と千代田湖の分岐案内。
武田の杜の案内からは約15分で到着。
訪問が夕方でしたので、かなり焦って登ったコースタイムですね。
案内板から先、道が2方向に別れてますがここから湯村山城の周回コースになります。
では周回コースを進み、湯村山城の中心に向かいます。
巨石がゴロンと転がる印象的な地山。
途中、尾根筋を断ち切る空堀があったので撮影。
いやぁ~一応載せますが空堀と言っても全然分からないと思います。
藪写真コレクションが増えただかも。
やっぱり分からないデスネ
写真映えのしない空堀よりの石積み遺構なら明瞭に分かりますね。
元の岩を利用した石積み遺構。
こちらも同じく。
期待以上に遺構は残ります。
土を盛っただけの土塁や、土を掘っただけの空堀よりも、石積みがあるとより本格的な普請だと、考えてしまう傾向があるのですが、
岩がゴロゴロ転がる湯村山なら、土を盛るより石を積んだ方が利に適ってますね。
郭内部のゴロゴロ感。
これだけ岩があれば利用しない手はないか?
湯村山城の先端部には東屋が設置されてます。
東屋からは甲府盆地どころか富士山までよく見えます。
盆地内の変事ついては全て見えそうな眺望の良さ。
湯村山城と麓の躑躅ヶ崎館との関係を妄想すると、躑躅ヶ崎館を指令所と例えるなら、湯村山城はレーダーサイト・通信施設と呼べる役割を与えられていたと思われます。
ウンチクはこの位にして、郭内部も見てみましょう。
この奥に井戸があるようです。
井戸は半ば埋もれてますが、周囲の石組は健在。
こちらは城内にある「湯村山金毘羅宮」
案内板の掲載にて 湯村山城紹介はおわりです。
所要時間 45分
湯村山城の評価は 3 とさせて下さい。
簡易的な見張り台や狼煙台程度の遺構を想像していたのですが、意外や意外にも本格的な山城遺構が残り、いい意味で予想を裏切られました。
しかしながら、横矢かかり、虎口などの一般的な城郭パーツよりも郭内部の間仕切り的な土塁や空堀が目立ちます。
ここで一戦交えるというより、山頂部に平坦地を設ける事を主眼に置かれたような縄張りに感じました。
この辺りは、同じ躑躅ヶ崎館の支城である要害山城とは明確に異なりますね、あちらは戦闘に特化した攻撃的な縄張りを持ちますので。
最後に、周辺城郭の記事リンクを貼っておきます。
武田氏の居館「躑躅ヶ崎館」の紹介
躑躅ヶ崎館の詰め城「要害山城」の紹介
要害山城に隣接する謎の山城「熊城」の紹介