松岡城
訪問 2019年 8月
駐車場 有り
案内板 有り
この辺りで長野のお城紹介編を再開します、今回は南信伊那谷。
訪問はコロナ禍前の2019年の8月と、夏の真っ盛りで山城を攻めるには難しい時期なので平地に残る城郭遺構を中心に訪問してます。
松岡城主郭からの眺め
さて、今回訪問した伊那谷平地部には、築城に関わるであろう極めて特徴的な地形が2点あります。
ひとつは、
もう一つは、
田切地形と呼ばれるこれも規格外に巨大な侵食谷。
判り易い部分に地形の説明を加筆しました。
真ん中の十字部分に松岡城があります。
河岸段丘は平地を崖のラインで、田切地形は亀裂のような峡谷を以て平地を分断し往来を遮断する存在です。
実は都内にも立川崖線・国分寺崖線 と呼称される河岸段丘が存在しますが高低差は10m程度。
宅地開発が進んだ現在では急な坂道程度にしか認識されません。
しかし、伊那谷の河岸段丘は等高線を数えると比高差100mに達するのではと思われる破格の規模を誇ります。
現在でも車道や鉄道は、迂回するか長大な橋梁を架設したルートを余儀なくされる全くの障害物ですが、防衛線の構築となればこの天然自然の断崖は極めて有効な遮断線として機能したでしょう。
実際松岡城は、東側を河岸段丘の断崖、南北を田切地形の断崖 と、3方を天然の障壁によって守られた舌状台地を利用して築かれています。
いつものように、場所はグーグル先生にお任せです。
訪問は、ファミリーマート側から松源寺さんを目指してください。
松源寺さんに松岡城見学者用の駐車場が併設されています。
檀家さんと兼用でしょうか?
大きな駐車場です。
それもそのはず、境内と駐車場は松岡城の郭Ⅴにあたります。
パンフレットはこちらに
背後には浅くなってますが堀切Ⅾがあります。
ここで現地縄張り図を掲載。
隣接する「松岡南城」は時期的に藪まみれが予想されたのでパスしてます。
さて、遅ればせながら松岡城の歴史について
案内板の転記で済ませたいと思います。
高森町史跡
松岡城 跡
昭和62年10月12日指定
松岡城跡は高森町の南部、天竜川を臨む標高560mの段丘先端部に立地する。
南東側は比高約100mの段丘崖、北東側は間ヶ沢、南西側は銚子ヶ洞と深い沢により浸食された舌状の地形を要害とし、これに多くの空堀や土塁を施して防備を堅固にしている。
銚子ヶ洞を隔てた西方には松岡南城(通称 小城)があり、2つの城が並立する。
築城は、南北朝の戦乱の頃といわれ、その後戦国時代に大きな修築が加えられたと考えられる。
およそ200年間に渡って市田郷領主松岡氏の本拠地となり、天正16年(1,588年)同氏の改易により廃城となった。
城内は本丸を除く大部分が開墾されて田畑になっているが、深く掘られた空堀は概ね残存しており、5つの郭が連郭式に並ぶ。
最先端の郭Ⅰは主郭と考えられ突端部からの眺望は良好で、特に天竜川を挟む竜東地区を一望する事ができる。
郭Ⅴには松岡氏の菩提寺の一つである臨済宗松源寺があり法灯を伝えている。
伊那谷には段丘先端部を利用して築かれた中世城郭が数多く存在する。
中でも松岡城跡は規模が雄大であるとともに、段丘の城跡として典型的な姿を残している。
舌状台地を利用した城郭としては、見本のような縄張りに思えます。
では 早速お邪魔しましょう。
駐車場裏の堀切Ⅾを抜けて郭Ⅳを進みます。
道の両側は畑地で入れないですね、縄張り図にあった横堀が見たった・・
次に登場するのが縄張り図の堀切Ⅽ。
現地の標識では三の堀 とされてます。
堀切と堀 Ⅽと3 ・・・統一性が全くないのがなんとも・・
ここは、舌状台地を直線状に遮断するので空堀と呼んでいいでしょう。
堀底は均一に平坦、恐らく後世の耕作地化による改変があったと思われますが、堀幅は現状でもかなり規模を誇ります。
その先は郭Ⅲになります。
郭の縁に土塁が残っていないので、郭Ⅱやその先の郭Ⅰまでが見通せます。
更に進み郭Ⅲと郭Ⅱを隔てる堀切B。
標識では二の堀ですが、
こちらも堀底は均されたように平滑です。
元々箱堀だったのかな? かなりの土木量を投下して掘り込んでますね。
堀底がストンと一段落ちてから外側の堀切Ⅽと合流します。
堀底探索を続けたかったのですが、日陰にはやぶ蚊の伏兵がとんでもない数が潜んでいるので慎重にパスします。
こちらは最後の堀切A
他の堀より狭く浅い構造。
標識では一の堀ですが
堀切Aに設けられた土橋を渡って虎口から先端の郭Ⅰにお邪魔します。
土橋がはっきり確認できるのはこの堀切Aだけかもしれません。
郭Ⅰには土塁の遺構も残り、虎口付近には石積みの遺構と思しき石も確認できます。
郭Ⅰ内部の様子。
平坦で広い空間が確保されてます。
それにしても、駐車場からここまで箱堀以外の高低差を全く感じる事なく歩いてこられました。本当に平坦な地形。
郭Ⅰにはかなり明瞭に土塁の遺構が残ります。
恐らく城が現役の頃は、目隠しを兼ねて他の郭にも土塁は回されていたと思います。
郭Ⅰの先端から、段丘下面を撮影。
ややガスってますが正面は中央アルプスの絶景。
段丘下面との比高差が感じられると思います、下から登ったら堅固な山城と感じたでしょうね。
郭Ⅰには中央部で僅かに段差があります。
城の現役時には、2つの区画で別れていたのか?
庭石のような物が残っています。
背景にはスタート地点の松源寺さんを入れてます。
郭Ⅰの外縁部の防禦ラインと段丘下面側の遺構を見に行きます。
切岸にお近づきたいのですが・・猛烈な藪に阻まれ遠くから眺めるのが限界です。
草の茂る時期の藪城訪問では仕方がない事情と諦めます。
辛うじて、土塁線が付いた腰郭に散策路が設定されているので、丹念に見学します。
更に河岸段丘面の小郭群を進みますが・・・またしても藪写真コレクションを増やす結果に。
現地で見れば多少は判りますがねぇ。
こんな所までマニア向けの説明板が設置されてます。
下草が枯れる時期に行かないと駄目ですね。
この辺りで、蒸し暑さが限界に達したので駐車場に戻ることとします。
こちらは、帰りに立ち寄った松源寺さん裏側に残る堀切Eの様子。
車道の反対側には見事な箱堀が残ります。
良い状態で遺構が残ってますね。
松岡城 の評価は 3 とさせて下さい。
評価は見られた範囲のみを元に独断と偏見で付けてます。
広い舌状台地を巨大な空堀を掘り込んだ雄大な城跡ですが、見られた範囲ではその縄張りの技巧性を堪能するには至らず、 と言った所で個人的には不完全燃焼の松岡城見学になってます。
主郭先端より先の段丘下面や、舌状台地両脇の防禦構造は藪によって見学を阻止されてますし、松岡城の全貌を見るには、隣接した松岡南城の見学も外せないでしょう。
下草の枯れた時期に再訪したい城郭の一つとして今回は終了です。